日本史概説 I(14春)

古墳は盗掘被害にあったりはしていないのでしょうか、それとも、死者の空間に入るのは恐れ多いという意識が持続していたのでしょうか。

長い期間のうちに、盗掘されているもの、削平されてなくなってしまっているものもかなりあります。考古学的な発掘調査を行うと、すでに石室内が荒らされているということも少なくありません。現在は宮内庁によって厳重に管理されている天皇陵にも盗掘されて…

横穴式石室への追葬は、スペースが空いている限りは積極的に行われたのでしょうか。それとも、何か経済的な事情なども絡んでくるのでしょうか。

埋葬の情況をみると、原則としては、父親の継承者に当たる嫡系の子供は、新しい古墳を造営するようです。上に回答した家族の埋葬のあり方をみますと、ロの父子関係においても、父と一緒に葬られているのは非嫡系の子供です。これは経済的な事情云々というよ…

花岡山5号墳で24名の埋葬があったとのことですが、血縁者のどれくらいまでが葬られるものなのですか。

古墳は、基本的に首長が埋葬される墓ですが、横穴式石室の導入により、その親族へ範囲を拡大して追葬が行われました。同じ石室を共有する血縁者は、概ね、イ)兄弟関係、ロ)父子関係、ハ)ロに家長の妻が含まれるもの、という3パターンが基本となります。…

横穴式石室=群集墳、という公式は成り立たないのでしょうか。

群集墳の性格自体が多様で、中期の早い時期に成立したものには竪穴式石室を用いるものもあり、残念ながら群集墳=横穴式石室、あるいは横穴式石室=群集墳、どちらの公式も成り立ちません。

埴輪の男/女はどのように見分けるのでしょうか。

服装や髪型です。また、その所作から判明する職業によっても、性別を判定できる場合があります。古墳時代に近い絵画資料や文献資料を使いながら、比較検討しつつ判断をしています。

人物埴輪は被葬者が死後孤独にならないためにと習ったのですが、それは間違っていたのでしょうか。

間違っているわけではないと思いますが、非常に素朴な考え方ですね。なぜならそこには、「古墳時代の人々も現在の私たちと同じメンタリティーを持っている」という無意識の前提があるからで、これは考古学や歴史学を扱う際にいちばん注意しなければならない…

神人共食の問題は、キリスト教にも深く関わっている気がします。神と食事を共にすることには、どのような意味があるのでしょうか。

黄泉国神話のヨモツヘグイにも似たところがありますが、同じものを食べることによって、その一体化を図る意味があります。よく共同体の結束を表現する言葉として、「同じ釜の飯を食べる」という慣用句が用いられることがあります。古代では何らかの目的で徒…

最近の精進料理に肉料理がみられるのは、単に宗派や時代の問題なのですか。 / よく葬儀や法事の場で、果物や缶詰を籠に詰めて花のようにしてあるのをみかけますが、あれも共食のための供物なのでしょうか。天国では相手と互いに食べ物を食べさせあうなどの話も聞きますが、それも関係あるのですか。

精進料理は禅僧の食べるもの、あるいは潔斎中の食事なので、本来の意味としては酒や肉などが入り込む余地はありません。肉が入っていれば、それは和食や懐石料理ではあっても、精進料理とは呼べませんね。また、果物や缶詰を詰める籠は、亡くなったひと、あ…

「朱」という色には、中国で何か特別な意味があると聞いたことがあります。施朱のような風俗は、他の国にもあるのでしょうか。

辰砂やベンガラ(酸化鉄)と呼ばれる赤色顔料、すなわち丹や朱を辟邪のために用いる、という発想は多くの国の文化にみることができます。とくに水銀は防腐剤としても使用されたので、単に太陽や血を連想させるだけでなく、実際の効果から辟邪の考え方に繋が…

古墳が死後の住居ではないとするならば、家形埴輪も生前の住居とするのが妥当ではありませんか。

この感想が幾つもあったので、皆さん同じように考えるのだな、と少し驚きました。竪穴式石室と埴輪との関係性自体がまだ議論しうるところなので、必ずしも「古墳が死者の住居ではないから、家形埴輪も死者の住居ではない」とはいえないようです。例えば、古…

古墳時代の庶民は、どのように埋葬されていたのでしょうか。

古墳時代の庶民の墓については、残念ながらよく分かっていませんが、幾つか庶民墓地の可能性が高いといわれている遺跡はあります。例えば、直径2〜3メートルの不整形土坑700基ほどを持つ古墳前〜中期の大阪府長曽根遺跡、長辺1.2メートルほどの方形土坑約1…

地理的にはヤマトに近い滋賀や福井に古墳がみられず、埼玉や群馬の方が多いのはなぜでしょうか。

前方後円墳が少ないということは、必ずしも政治的に発展していない、もしくは支配的な首長が存在しない、ということに直結しません。とくにヤマトなど強大な支配力を持った王のいる場所に隣接している地域は、彼らによって直轄統治され、仲介する在地豪族の…

ヨーロッパでは、古墳のような大規模な首長墓が展開したような話は聞いたことがない。西洋でそうした展開がなかったのはなぜなのだろうか。

確かに、我々にとってはアジア地域のものが身近ですが、ヨーロッパにも石器〜金属器の時代に墳丘墓が見受けられます(そもそもピラミッドが王墓なわけですが)。墳丘墓は王の権力の象徴ですので、社会に占める王権の位置の相違によって、その作られ方は異な…

宮内庁が天皇陵の調査に許可を出さないのはなぜですか。

いろいろ複雑な問題が絡んでいます。まず天皇陵は天皇の祖先たちが葬られる墓地であり、日本国の象徴である天皇家のプライバシーを侵害するというのが建前的な理由でしょう。そのプライバシーは個人の尊厳に関わるものではなく、国家の尊厳に関わるものです…

世界史で古代史を勉強していると、神事を司る人間が権力を掌握する事例が多くあります。日本ではそのようなことはなかったのでしょうか。古墳に埋葬されている首長は、そもそもどのように権力を掌握したのでしょうか。

もちろん、日本でもそのような事例はあります。少なくとも古墳時代までは祭政一致の状態ですので、古墳に葬られている権力者は、政治的首長であると同時に宗教的能力を認められた者であり、いいかえると、神的な力がなければ首長や王として君臨することがで…

レポートは、特定の時代について書いてもよいのでしょうか。 / レポートについてですが、「通史」とは、とくに何かに的を絞ってその変化、流れを見てゆくものでしょうか。それとも全体の出来事を書いてゆけばいいのでしょうか。

授業中に説明したとおり、基本的には縄文〜平安までの通史として描いてください。しかし、授業の進度の問題もありますし、あらゆる時代のあらゆる事象を満遍なく記述することは不可能ですから、どこかの時代に焦点を絞って書くことも必要になってきます。そ…

縄文人は彫りが深くがっしりした体格であったのに、弥生からは彫りが浅い細身の体格へ変わったのでしょうか。

縄文人/弥生人の体格比較などは、発掘された骨格などから復原されていますが、それぞれの時代に列島に暮らしていた人々の平均値が採られているわけではありませんので、統計学的に正確さに欠けるものです。また、比較のために用いられるデータは多く北部九…

古墳時代に至って、次第に人間中心主義的な考え方が強くなってゆくとのことでしたが、古墳寒冷期などで自然の厳しさを痛感し、多少なりとも考えを変えるといったことはなかったのでしょうか。

今後の講義で扱ってゆきますが、自然環境に対する祭祀の重要性が、4世紀頃から復活してきます。典型的なものはときどき授業でも言及している湧水点祭祀、導水祭祀と呼ばれる水辺の祭祀で、地域の耕地を灌漑する水源を共同体首長が祭祀するものです。水源地…

窯業のために大量の樹木が伐採されたとのことですが、多雨の影響で稲作に支障が出ていたのなら、堅果類の採集も重要であったはず。伐採できるだけの樹木があったのでしょうか?

須恵器や土師器の生産に携わっていた工人たちの生活は、考古学分野で次第に解明されつつありますが、薪炭材が不足すれば移動してゆく彼らが窯業の傍ら生産に携わっていたとは考えにくく、上位の政治勢力との繋がりのなかで、他の団体から食物の供給を受けて…

薪炭材を得るために伐採が行われたとありましたが、埴輪や土器の直接の材料となる粘土の採取は、自然環境に何か影響を及ぼしたのでしょうか。

陶邑のような須恵器窯の近くでは、粘土を採掘した坑の遺構が多く残っています。良質の粘土が検出されるまで幾つもの坑を掘り返したあとや、5〜10メートルの深さにわたって粘土を掘り出した坑道などが検出できます。薪炭材の確保のために行われる森林伐採よ…

蒲生君平の時点では、古墳時代に「宮車」があると考えられていたのでしょうか。

考古学的、あるいは文献学的な検証作業の知識・技術が進んでおりませんでしたので、文献に書かれたものを通して古代の遺物を把握するしかなく、奈良時代以前と考えられるものは、その時代のあり方をそのまま過去へ遡らせて考える以外になかったわけです。い…

古墳は、日常的にはどのような存在であったと考えられますか。例えば、ふだん立入などはできたのでしょうか。

古墳の日常的なありようについては、あまりよく分かっていません。講義では詳しく扱っていませんが、前期の前方後円墳などは三段階の墳丘として整序され、前面に葺き石の施された極めて人工的な景観を持っていました。また、前面に多様な木製品を立て並べた…

桃の持つセクシャルなイメージとは、具体的にどのようなものでしょうか。女性的ということですか?

一般には女性の生殖器、あるいは臀部などを連想させる、といわれています。そこから性的イメージ全般を象徴するものとなり、桃を食べると性的能力が回復する、若返るなどともいわれます。不老不死との関わりの起源も、そのような象徴性にあるのでしょう。

前方後円墳は子宮と同じ形であるとの考えについてですが、古墳時代から、女性の身体を切り開いて形を知っていたということでしょうか。

解剖学的知識があったかどうか、すなわち情報として伝わっていたかどうかは分かりませんが、胎児の入っている袋とみなされていたことは確かでしょう。講義でお話ししたのは、前方後円墳自体が子宮とみなされていたということではなく、壺中天という中国の神…

古墳は中国の影響を受けているとのことでしたが、中国にもたくさん存在するのでしょうか。

儒教は、社会の安定化のため階層秩序を重んじますので、その具現化としての厚葬は、支配階層を中心に広がっていました。皇帝をはじめ、王族や貴族たちは壮大な陵墓を築き、そのなかには豪華で豊富な副葬品がみられます。代表的なのは陝西省驪山陵、いわゆる…

古墳は近畿に集中して造営されていますが、あのように巨大なものが6〜7世紀後半にまで作られていたとすると、場所などには困らなかったのでしょうか。 / 現在残っていない古墳は、どのようにして消滅したのでしょうか。

確かに、古墳を造営するためには適切な場所が選ばれていましたので、狭い地域に密集する場合も出てきました。いわゆる古墳群と呼ばれるものです。それらのなかには、墳丘の削平された例もあり、現在の首長にとって必要のなくなった古墳は、破壊されることも…

地域地域のどの程度の階層まで、古墳を造ることができたのでしょうか。

前方後円墳については、基本的に首長墓であると考えられています。同時期、その周辺に円墳や方墳が付随するものもありますが、それは陪塚、すなわち首長の親族や臣下を埋葬したものです。概ねこれらが古墳を造営できた階層、すなわち支配階層です。

前方後円墳の規模の大小をもって較差が形成されているとのことでしたが、なぜ権力を持つ人ほど大きい古墳を持つべきという、権力の強弱と大小のサイズ観が関係を持つようになったのでしょうか。

強大な権力が巨大な建造物を造り出すという営為は、権力誇示の方法として、時代や地域を超越してみることができます。世界中に残っている巨大建造物の大部分は、政治的なものであれ宗教的なものであれ、それを営む主体もしくはそれによって荘厳される何かを…

東北地方にも古墳があるということは、蝦夷のような人々も、多少なりともヤマト王権へ服従していたのでしょうか。

最北端の前方後円墳は、岩手県の胆沢付近にある後期〜終末期の角塚古墳(46メートル)、最大規模の前方後円墳は、宮城県名取市にある中期の雷神山古墳(168メートル)です。後の対蝦夷政策の展開をみてゆくと、これらの前方後円墳が蝦夷らの族長的存在の墳墓…

ヤマト王権による全国的な統一があったのは分かりますが、なぜそこまで拡大できたのか、少々イメージしづらいです。

邪馬台国とヤマト王権を完全に別のものとみてしまうと、確かに唐突すぎる感があります。しかし実際のところは、倭国大乱の時代に統一へ向けての種々の試みがあり、それが時折「倭国王」の形で出現していたとみれば、どうでしょうか。共立された卑弥呼の「邪…