超域史・隣接学概説III(17春)

類話は、神話の段階にかかわらず発生しますか?

発生します。神話が口伝で語り伝えられてゆく限りは、どこかで必ず文脈の変化を生じます。文字の場合にも同じことがあり、それゆえに幾つもの写本が発生してくるので、口伝の場合は推して知るべしです。しかし、まれに不思議なことも生じます。『奄美沖縄環…

中世神話では寺社縁起が多く発生したとのことですが、都市の起源が仏教や神仏習合的な価値観で語られることはあったのでしょうか。西洋中世では、多くの都市の年代記が残され、創世記やアダム・イヴの世界から始まり、時代を飛ばして都市の歴史が叙述される、というものがよくあります。

日本では、都市の固有性を主張する伝承は希薄な気がしますが、例えば、14世紀の由阿による『万葉集』注釈書、『詞林采葉抄』第五/鎌倉山には、鎌倉の地名由来として次のような伝承が出てきます。7世紀半ばの乙巳の変前夜、蘇我氏打倒を決意した中臣鎌足は…

共同体レベルの神話と芸術レベルの神話はそもそもレベルが違うので比較はできない、とのことでしたが、この点、もう少し詳しくするとどのような説明になるのでしょうか。

比較できないわけではなく、「安易に」比較できないとお話ししたわけです。例えば、授業で扱った黄泉国神話とオルフェウス神話の形式的類似を例に、古代ギリシャ人と古代日本人の冥界観には共通性があるという結論に到達したとする。しかし黄泉国神話は国家…

西洋でも、冥顕論のような(異端的な)解釈が主流になった時期はあったのでしょうか?

まず正確を期すために述べておきますが、幕末〜明治にかけては冥顕論が定説だったのであって、異端的ではありません。現代の人間がこれを異端的とみるのは、ものの見方が近代神道に馴らされているからに過ぎません。古代から近世に至る神祇信仰の歴史を通覧…

神道では、幽冥界をオホクニヌシが、顕界をアマテラスが治める分治であるとされていたのですか? / 冥顕論のもとでは、伊勢神宮より出雲大社の方が社格が上だったのですか?

冥顕論においては、まさにそうです。神社に関わる古代的制度においては、皇祖神を祀る伊勢神宮が別格の扱いを受けていたわけですが、中世や近世の時間的経過のなかで、それらも大きな意味を持たなくなりました。各時代においてどれだけ社会の需要に応えてい…

神話の作者は不明な場合が多いですが、それは意図的に書かれていないのでしょうか。

意図的というより、神話が集合的なものであるからこそ、作者の名前が存在しないのです。長い期間をかけて、ある集団のなかで語り継がれ、その都度集団の意志を反映しかつ規定してきたところに、神話が共有される必然性があるのです。

古代社会においてシャーマン階級は、政治的有力者が自らの支配を正当化する神話を必要としたから誕生した、という解釈で正しいでしょうか。

必ずしもそうとはいえません。なぜなら、シャーマンはいわゆる平等性社会のなかにも存在するからです。あくまでその発生は、偏重した力との関係ではなく、神霊との交渉において共同体を代表する者として考えるべきです。しかしその特権性、すなわち神霊との…

神話は王権や国家の支配イデオロギーとして利用されやすいとのことだが、ヨーロッパの国々でも、近代においてそうしたことはあったのだろうか。 / 国の近代化を成し遂げようとしていたときに、神話のような古い存在に力が入れられた理由は何でしょうか?

近代が中世的なものとの決別とすれば、本来は宗教や神話の価値が弱まるはずなのですが、近代に勃興する国粋主義・民族主義の場合は、やはりおしなべてナショナル/エスニック・アイデンティティの根幹たる神話が持ち出されてきます。多くの集団を国民国家に…

神話と歴史は同じ事象でもどちらとしても機能しうるとのことでしたが、区別が付けにくいときにはどう判断すればいいのでしょう。

上にも少し触れましたが、研究者がどちらかに決めてしまう、決めなければならないということはないでしょう。神話としても歴史としても機能する、ということでよいのではないでしょうか。例えば一部の日本史の教科書では、神話に関する記述が復活しており、…

ワ族の首刈りの話で、自分たちでは止められなかったものが毛沢東の禁止令で止められたのは、その伝承が当世に合わなくなっており、力を失っていたためでしょうか。 / ワ族の首刈りの話ですが、誰か個人を犠牲にして全体の豊かさを願うという価値観が興味深かったです。そうした価値観のもとで社会がどのように成立していたのか、気になりました。

もちろん、それもあるでしょう。首刈りを含む(とくにそれが自民族ということになれば)人身供犠は、あらゆる祭祀のなかで最も根本的なものであると考えられています。神霊に捧げ物をして何らかの祈願をする際、その捧げ物は、自分にとって身近で大切なもの…

保苅実氏の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を読みました。そこで、グリンジの人々は神話と歴史が混合して、歴史語りをしているとありました。彼らの基準からすれば、それが神話か歴史かというのは、重要ではないという話だったと思います。日本においても、ある時期まで混在していたと思うのですが、どうでしょうか? / 事象に何らかの特別な意味づけを与えると、神話になりうるということでしょうか?

そうですね、神話/歴史といった区別は、ある意味で研究者による分類に過ぎないのかも知れません。このあと授業でも扱うつもりですが、歴史感覚が発展してくると、神話と歴史とは過去の時間のなかで接続され、神々の時代は特定の時間のなかに置かれることに…

そもそも、人間が過去を意識するようになった切っ掛けは何なのだろう。

倫理的に過ぎるかもしれませんが、やはり、自分自身の行動において反省することこそが、「振り返ること」だったのではないでしょうか。未だ定住を始めていない移動生活においては、毎日が生存と関わる選択の連続だったはずです。例えば、自分たちの進んでき…

現代日本では、政界でも親子二代にわたっての首相など、世襲制が強いのが独特だと思います。どうしてここまで強いのか、封建制の名残でしょうか、それとも日本人の価値観の根本に系譜主義的なものがあるからなのでしょうか。

まあ、アメリカでもブッシュが親子2代にわたって大統領を輩出していますし、ケネディを例に挙げるまでもなく、政界に成員を輩出してくる一族はいますよね。いずれの国家、社会においても、ピラミッド構造の上部に位置する階層は、経済的・社会的・文化的資…

近代以前の人々にとっての父祖の物語りは、自分のアイデンティティのようなものだったということでよろしいでしょうか。もしそうなら、中世の宗教戦争は、人々にとって、自らの依存する父祖物語りや族長物語りを絶対視したために起こったと考えることも可能ですか?

宗教や国家といった地縁・血縁を超越する集団が、個人を利用して自らの目的に駆り立てる際には、彼らが重い価値を置く人間関係に訴えてゆく方法を採ります。例えば靖国神社は、近代日本が神道を非宗教化する(それゆえに、信教の自由を超越して全国民が崇め…

古代の品部の名称は職を意味すると習いましたが、なかには実際には存在せず名前だけが残っているものもあると聞きました。それらは王権への奉仕と関係ないのでしょうか?

具体的に何を対象とした質問なのか分からないので、正確な回答にはならないかもしれませんが、品部のうち王権へある職掌をもって奉仕する職業部は、律令体制においても諸官司に配属され遺制を留めていますが、8世紀を通じて解体が進められてゆきます。その…

父祖の語りを権力者との間に行う際に、権力者はその真偽をどのように確認したのでしょうか。

王権との間で父祖語りを行う場合、王権に対する貢献を並べ立てるわけですから、ある程度の情報管理機構を備えた王権の場合、それに関する記録は何らかの形で保管されていたと考えられます。古代日本の事例でいえば、7世紀末の天武・持統朝に契機があるとい…

メトる=女取るから「娶」の成立に至った漢字文化と、7世紀の日本文化は相違していたわけですが、反発もなしに受け容れられたのでしょうか?

中国の言語文化と列島の言語文化は相違しますので、このような齟齬は多く確認することができます。翻訳の際に生じる問題として、現在にも広く見受けられることでしょう。すべての事例にわたって詳細にチェックをしたわけではありませんが、この種のケースで…

系図において、双系制的な要素が父系制に統一されてくるとのことですが、何か契機があったのでしょうか。また、これは万世一系の天皇系譜とも関わりがありますか?

系譜が「仕奉」と密接に関係するなら、問題ある事跡を残した人々は、系譜から排除されるのでしょうか。関連して、孤児や余所者などは、一族や村落にとってどういう存在だったのでしょうか。

重要な質問ですね。後世の客観的な立場から編纂された系図は、諸史料を駆使して描かれていますので、例えば謀反を起こした人物などもしっかりと記録されています。しかし授業で扱った古い時代の単系系譜においては、まず王権と軋轢を起こした人物などがいた…

王の側は、民との関係を表明することはなかったのでしょうか。

「仕奉」との関係で、ということでしたら、儒教的な徳目を基盤にした王は常に民に言及します。民を安泰な状態に保つのが王の役割、責任、というのが建前ですので、詔勅にはことあるごとに民の安寧が言及されます。例えば、天然痘が大流行している際の詔は、…

「仕奉」は支配者層だけに重要であるように思いますが、一般民衆ではどうだったのでしょうか。

まず、当時の一般民衆に、どの程度系譜意識があったのかが問題となります。7世紀まではかなり希薄で、氏族もしくは村落などへの帰属意識はあっても、歴代の系譜意識は未発達だったのではないかと考えます。しかし、7世紀末から戸籍の変成が行われるように…

多遺体再葬について、当時の人々は埋めた骨を掘り起こすことについて、どのように考えていたのでしょうか。

これは沖縄などにも残っていた習俗ですが、「再葬」と呼ばれる埋葬の仕方は広くみられたものなのです。原理的には、一度遺体を埋葬し、身体が分解され骨だけになった頃に掘り出し、洗骨して埋め直すという方法です。多遺体再葬は、このような「浄化」を目的…

多遺体再葬すると、自分たちの父祖のルーツが分からなくなってしまうと思います。なぜそのようなことをしたのでしょうか?

これについてはなかなか分からないことが多いですが、恐らく縄文の段階では祖先は個別の存在ではなく、ひとつの霊的な集合体として意識されていたのではないでしょうか。遺骨は、その呪具・祭具のようなもので、特定個人を意味するものではなかった。始祖神…

多遺体再葬墓の話に関心を持ちました。「死」が血の繋がりを強める道具となっていることが、現代社会とは大きく異なっていると感じました。現代では孤独死なども増え、血の繋がりの重要性が薄れていますが、お墓参りの意味なども、昔とは違ってしまっているのでしょうか? / 現在は、人々の生活圏と墓地とが切り離されてしまっていると感じます。ひとつのケガレ観の結果でしょうが、先祖の扱いはなぜこうも変わってしまったのでしょうか。

死・死者へのイメージ、墓地の位置などは、長い列島の歴史のなかでもずいぶんと変遷があります。縄文時代でも、かつては集落の縁辺部にあり、環状集落が作られるようになって、その中心部に位置づけられるようになるのです。しかし、それもやがて、環状の中…

祖先から繋がっていることを表すのに、なぜ円環の構造が用いられたのでしょうか。直線ではない理由も知りたいです。

円環構造は、自然の運行のサイクル、すなわち死と再生を表しているとみられています。四季の巡行、視覚的には月の満ち欠けなどがモデルでしょう。そうしたサイクルに自分も参加することによって、エネルギーの活性化や死者の復活(新たな生命としての再生)…

トーテムは日本には存在しないのでしょうか。

授業でも少し話をしましたが、ヤマト王権はもともと樹木トーテム、葦トーテムであった可能性があると考えています。『古事記』では、神霊が生まれてくる様子をアシカビと表現していますが、これは低湿地の水のなかから、葦が勢いよく伸びてくる、生命力の横…

動物と血が繋がっているという民族意識は、当時の王朝などから迫害される理由になったりしなかったのでしょうか。

重要な指摘ですね。確かに、中華思想において教化されるべき蛮族=夷狄は虫や獣の同類とされました。東夷・西戎・北狄・南蛮という表記にも、虫や鳥が含まれており、かかる発想が現れています。儒教でも、人と動物とは明確に峻別されています。(書きかけ)

トーテム動物には、虎や狼といった強い肉食獣が選ばれることが多いように思いますが、これらでなかればならない必然性はあるのでしょうか。

やはりその強さ、というのは重要な選択の基準でしょうね。しかし一方で、この虎(アモイトラ)や狼がかなり人間に対し被害をだしていたことも否定できません。とくに中国の山林は虎害が激しく、古代から近代に至る種々の説話・記録に頻繁に出てきます。あま…

トーテムの◎2を読んで、今まで牧羊は草原のようなみはらしのよい場所で行うのだと思っていたのですが、山の竹藪でもできるのかと疑問に思いました。

この羊はたぶん、山羊か羚羊かなあと思います。ぼくも、雲南のかなり山の険しいところで、山羊や羚羊の放牧が行われているのをみたことがあります。

古代の人々は、科学が発展した現代を生きる我々より自然への畏敬の念が強かったと思うのですが、どうして自然の神霊はヒトをモデルに作られたのでしょうか。

まず、近代科学主義の我々が自然/文化を峻別して考えてしまうのに対し、前近代社会、民族社会では必ずしもそうは考えないということに注意が必要です。ヒトを至上だとも考えないかわりに、他の動植物を至上だとも考えない。そうしたフラットな地平で世界を…