超域史・隣接学概説III(17春)

殷代において卜占が形式的になっていったのはなぜですか?

武丁期に最盛期を迎える甲骨卜辞においては、王の一挙手一投足を卜占するような状態であり、それゆえに卜辞を通じて王の事跡が記録されたわけです。しかし帝辛期にはそうした臨時の卜占がなくなり、卜占の回数自体も減少して、王の事跡を詳細に記録すること…

自分でモノを作らない商業は、どこにおいても卑しいものとみなされたのでしょうか。

中国においては、商業の「商」が殷を指すように、このなりわいは、聖代の周王朝にあって滅ぼされ流民となった殷の人々がなすもの、との差別的な認識もありました。しかしそうした言説は、王権が人民を生産に専念させ、流通を管理して利益を独占するための情…

『日本書紀』のような日本古代の史書が、『春秋』のような性格を持っていないのはなぜでしょうか。

ひとつには、日本列島においては、複数の古代国家が競合・興亡するという情況に至らなかったことに原因があります。周王朝末期の春秋・戦国時代は群雄割拠の時代で、ほんの少しの判断の誤りが、一族や王権、国家の滅亡を招来する危険性がありました。そうし…

ヨーロッパ中世において、キリスト教を信仰していた庶民たちはラテン語で書かれた聖書を読むことができず、教父の説教などに頼ったが、当時のラテン語には文字の神秘性が付与されていたのだろうか。

そうですね、キリスト教におけるラテン語や仏教におけるサンスクリットなどは、次第に神聖文字・典礼文字としての要素を色濃くしていったものです。これは、神聖なものを記し語る言葉を日常のそれとは区別しようという、宗教における卓越化の表れと考えられ…

中国ではまだ占いによる記録をしていた頃、同時期のギリシアではすでに記録から探究、学問の域にまで達していたことに驚きました。この差はどこで開いたのでしょうか?

それは誤解です。ヘロドトスらの著作はB.C.4世紀前後、一方の甲骨卜辞はB.C.14世紀頃が盛期なので、1000年中国のほうが古いことになります。ヘロドトスらの著作と同時期の史書は『春秋』や『竹書紀年』で、王権を正当化する要素の強いものですが、後の史書の…

ギリシャ・ローマの史書が未来のために書かれたように、口承においても、未来をどう進めるべきかということは伝えられていたのでしょうか。

それこそ、シャーマンにおける卜占、神殿における託宣などは、未来を展望する口承でしょう。デルポイのアポローン神殿における託宣が、いかに多くの人々の未来を束縛・規制したかは、種々の神話や記録に見出すことができます。東アジアの歴史記述が卜占から…

トゥキディデスは、ヘロドトスの歴史叙述を批判したとのことですが、その誤りの多さなどをどのように検証したのでしょうか。 / トゥキディデスの科学性はどのように獲得されたのだろうか?

ヘロドトスが種々の口碑伝承=物語を史料に歴史を記述した点について、物語の虚構性を排し記録の事実性を追求したということでしょう。授業でお話ししたように、古代的客観性において「史実であるか否か」は、未来のために参照しうる材料として役に立つかど…

「歴史は繰り返す」という言葉は、マルクスも口にしたと思います。唯物史観もそこから生まれたと思いますが、彼も一種の政体循環論者だったのでしょうか。

「歴史は繰り返す」は、古代ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉とされ、マルクスはそれを引用して、「歴史は繰り返す、一度目は悲劇、二度目は喜劇として」と述べたわけです。ルーフスの場合は一般通念を言葉にしたに過ぎませんが、その内実は、文…

一世一元も、大事紀年の一種でしょうか?

少し違いますね。大事紀年は、基本的に1年ごとに年の呼称が違ってきてしまいますが、一世一代の元号は、王・皇帝が退位しない限り用いられます。とにかく、その年の重要な一事件で1年を表すのが大事紀年、以事紀年です。

殷代の卜占について、以前本で、結果は予め望んだものが得られるよう調整されていたと読んだのですが、本当でしょうか。

講義で紹介した落合淳思氏などは、その代表的な論者ですね。しかし個人的には、すべての甲骨卜辞の事例をそう解釈できるか、それはあまりにも近代的な解釈に過ぎないのではないかと考えます。卜占が神霊との交渉を必要とすることは、文化人類学的な調査・研…

殷代当時の占いが王朝に影響を及ぼしていたことから、占いによる王朝支配があってもおかしくないと感じた。また、卜官が王という立場になる可能性はなかったのか?

祭政一致の神聖な王は、宗教的な能力とともに強大な軍事力も有しているために王なのであり、卜兆を読み解く力もそのことと無関係ではありません。殷における史官=卜官は知識人ではありましたが、やはり王のもとで宗教的業務をなす専門職であって、政治的・…

卜占に使用されていた骨は、食用の動物のものですか、それとも卜占専用に飼育されていたものですか。 / なぜ牛の骨や亀の甲羅を用いたのでしょうか。 / なぜ骨や甲羅に生じたひびで、占いをするようになったのでしょうか。

中国の卜占には、狩猟採集時代には主に主要な狩猟動物である鹿、牧畜時代には羊や牛、とくに占いに使用しうる面積との関係で牛、やがて亀甲が使用されるようになりました。もともとは神霊に対して動物を供犠すべく火に投じており、燃え残った骨の色合いや状…

古代中国では、他の地域のような占星術は発展しなかったのでしょうか?

発達していました。そもそも中国の史官は、卜占とともに暦の作成を主要な役割としており、それは天文の観測なしには成就できない職務だったのです。『春秋』『国語』などの古い史書には、熱卜や夢告などの内容を解釈するために、天文の運行と神話が重なりあ…

新石器時代中期の墓の副葬品に、卜占に用いた亀甲と小石が収められていたと、東洋史で勉強したことを想い出した。

おっ、よく知っていますね。それは、亀の甲羅を使用した熱卜である、亀卜の起源ともいえるものです。1980年代以降、黄河下流域〜揚子江流域における大汶口文化早期以降の大型・中型墓より、亀の腹甲・背甲を綴り合わせて囊状にした器物が、多く小石や骨針・…

日本ではなぜ、口語を発することが尊貴さの象徴とされたのでしょうか。文化的であることが必ずしも尊貴さとは結びつかず、自然が重んじられたということでしょうか。

文字使用が一般的ではなかった古代社会においては、首長の口頭の命令、長老やシャーマンによる共同体の掟、神語りの託宣が、集団の結束と規律、円滑な経営を達成するうえで重要な意味を持ったことは間違いありません。また口頭のコトバは、その抑揚やリズム…

古代の史書の扱う時間が短いということは、当時の歴史家には古代・中世・近世・近代といった区分はまだなかった、ということでしょうか。

もちろんありません。紀元前後、古典世界でもキリスト教でもその萌芽はありますが、明確な時代区分が始まるのは授業で扱ったアウグスティヌスで、また現在の区分法に繋がる古代・中世・近代との3区分法は、ルネッサンス期を待たねばなりません。ただし、こ…

『淮南子』で粟を降らせた天は、キリスト教の神と違ってずいぶん優しい印象です。中国の天、ヨーロッパ・キリスト教の神に対して、それぞれの地域の人々が抱く感情には、何か違いがあったのでしょうか。

ここでの天は、確かに優しいですね。高誘が『淮南子』の文章を解釈して再創造した内容で、独自の意味を持つと考えたほうがよさそうですが、もちろん当時の神観念と無関係ではありません。中国の天は、ユダヤのヤハウェほど人間に期待していない、人間へ使命…

日本で使用している擬態語は、いつ作られたのでしょうか。

『古事記』の段階でもう出てきますが、そのなかには現在意味の伝わっていないものも多いですね。例えば、『古事記』雄略天皇段で、天皇に襲いかかる猪の状態を表現したウタキという言葉。一般的には憤怒の様子を示しているとされますが、藤井貞和さんは、そ…

『古語拾遺』のなかでは、文字の発達によって「智賢の豊かな古老」が嘲笑されるようになったとありますが、それがシャーマンや古老のような場合でも嘲笑されてしまったのでしょうか。

『古語拾遺』が問題にしているのは、まさにそこです。この書は、同じ神祀りを行う一族でありながら、藤原鎌足を輩出したことで王権側から優遇されるに至った中臣氏を、批判するために書かれたものでもあります。『日本書紀』に掲載される神話のヴァリアント…

記号に意味がついたら文字になるのか、音がついたら文字になるのか、文字をどう定義すべきか分からなくなりました。

前にも少し書きましたが、記号が文字化しているか、文字として扱えるかは、連辞・連合関係によって考えるべきだと思っています。つまり、複数の記号が組み合わされたとき、隣同士の記号が連なって、ひとつの記号で表す以上の意味を持ちえているか。また全体…

文字使用の問題性を語る神話は、今まで口承によって有利な地位を得ていたシャーマンが、地位が危うくなることを感じて盛り込んだものなのではないか?

それは充分考えられることなのですが、やはり「文字使用を憂える言説」が文字として残っている点が重要です。中国の史官の例にしても、これまで口承の神話などを管理していた人々と、神聖文字によって情報の記録・管理、神霊との交渉を始めた人々とは、恐ら…

プラトン『パイドロス』に反映されている文字使用についてのストレスは、書承の呪術性が最初から信じられていたわけではない、ということだろうか?

ぼく自身は専門ではないので不正確な答えになってしまいますが、ソクラテスの語るタモスの言葉は、あまりに宗教的ニュアンスが希薄で不自然な印象もあります。文字の使用が一般化し、世俗的用途に使用されるようになって以降に、あらためて語られた伝承では…

文字記録と口頭伝承が両方あって、どちらが正しいか分からない場合、重要視されるのは文字ですか、伝承ですか。

それもやはり、情況によりますね。一概にどちらを重視するのがセオリー、とはいえないと思います。一時代前の歴史学では間違いなく文字記録を重視したでしょうし、現在でもそうする歴史学者は多いと思いますが、やはり充分に比較検討をして情況を調査せねば…

ナシ族がどのような暮らしをしているのか分からないのですが、表意文字の使用で不便なことはないのでしょうか。部族の人々への普及率や他民族との交流の過程で、変容していかなかったのか気になりました。

授業できちんと話をしていなかったかもしれませんが、トンパ文字はいうなればヒエログリフと同じ神聖文字で、トンパだけしか使用することができません。一般に使われたものではないのです(しかし現在は観光資源化によって、トンパ文化の担い手を育成する学…

トンパ文字の翻訳などは、どのように行っているのでしょう。

トンパ文字については、その読み方、書き方を伝承しているナシ族の呪師トンパが存在しますので、彼らへの聞き取り調査を通じて内容を理解することができます。現在では、調査と研究の積み重ねを通じて大部な辞書もできていますし、トンパ文字とそれを読み上…

デモティックなど消滅してしまった文字も多くありますが、それを使っていた民族がきれいさっぱり消滅したとは思えません。他の言語に移行したのでしょうか?

デモティックはヒエログリフの大衆化した形態ですので、指摘のとおり、エジプト文化圏の一般大衆が絶滅するなどありえません。まず、民族はその民族独自の文字しか使用しないという前提が誤りです。列島文化も漢字の使用と再解釈を通じて独自の文字文化を築…

文字というのはどのように固定してゆくのでしょう。また、口承から書承へ転換した後も、識字率などとの関係から書承の語りは継続すると思われるのですが、実際のところはどの程度の語りが書物になったのでしょうか。 / 書承から口承に戻ることもあるのでしょうか。

授業でもお話ししたように、書承には書承の利点があり、口承には口承の利点があります。現在もあらゆる言葉が文字化されてはいないように、前近代においては、やはり口承の世界が(文字を知らないからという理由だけではなく)躍動していました。日本では柳…

古代から日本は、人口の大半が文字を書くことができました。その点で他の国と異なり口承の部分が少ないと思うのですが、日本は例外的なのですか?

うーん、どこで得た情報か分かりませんが、それは幻想です。確かに、近世以降は江戸などの都市を中心に識字層が広がったといわれていますが、それでも農村も含めて人口の大半が文字を読み、書くことができたとはいえません。古代の場合はなおさらです。授業…

牛の頭という絵や記号から、文字が分かれるのはどのタイミングなのでしょうか。

ヒエログリフの雄牛からヘブライ語の’Alephを経てアルファベットAに至る過程についてですが、それが絵画ではなく、あるいは象徴的な狭義の記号ではなく(広義の記号は文字も含みます)、あくまで文字として機能したと考えられる画期は、やはり文章の一部と…

文字系統図によるとエジプト文字を祖とするヨーロッパ、甲骨文字を祖とするアジアを比べてみて、前者の方が著しく発展しているように思われた。アジアは閉鎖的だったからなのか、民族数が少ないからなのでしょうか。

どうでしょうか。単純に枝分かれと増殖を発展として捉えてよいのか、という見方がまずあるでしょう。また、ヨーロッパとアジアの展開の仕方の相違は、表音文字と表意文字の展開の相違なのであって、発展の高低ではないとみることもできます。また、中国で作…