2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧
ポイントは4点あります。まず1点目は、講義の内容が踏まえられているか。別に私の話に賛成しろといっているわけではなく、批判であってももちろん構わないわけですが、ちゃんと講義を聞いて理解していることを示してほしいわけです。第2に、問題意識の明…
江戸時代に用いられた白粉には他に鉛を用いたものもありますが、水銀を使ったものと同じく中毒症状を引き起こすものでした。水銀については、皮膚病や腹痛、梅毒などに治療効果があるとも考えられていたくらいで、中毒の治療法は確立していなかったようです…
律令国家の構築した神々の秩序に対する公式見解は、当初、『書紀』神代観の本文に拠っていたと考えられます。しかし、平安期には次第に『先代旧事本紀』や『古事記』の解釈が重要視され始め、その傾向のなかで次々と新たな氏文や縁起が作られ、中世神話の爆…
それはケース・バイ・ケースだと思われます。神々の宿る自然物のいかなる要素を神的とみなすかが、それぞれの神の力の大きさへ結びついてきます。例えば、巨大さに神聖性を認めて神の坐すとみなされた山と山ならば、同じ基準で力の大小を比較することが可能…
古墳時代には、歴史時代の神社に結びつくような祭祀遺跡が出現しますが、それらの多くは、人間の開発が拡大したその向こう側の領域へ設定されてゆきます。例えば山の神聖視も、弥生期〜古墳期にかけて麓の開発が進むにつれ、次第に禁足地化が進んでゆくこと…
秦氏の個々の集団が自らの意志で生活地を選び取ったというより、王権の側が産業を指定し、それに合った集団を配置したと考えるのが妥当です。問題はどのような集団編成を行ったのかですが、今回からお話ししている葛野秦氏を例に考えてゆくと、どうやら個々…
天武朝に使用され始めた当時は、呪術的な機能を持つ〈厭勝銭〉としての性格が強かったと思われます。モノやコトを仲立ちする貨幣なるものの機能は、アジアにおいてそれが発生した古代中国の殷帝国の頃から、呪術的な色彩を帯びてきました。鋳造量もさほど多…
牛に車で荷物を引かせたことは、藤原京造営期から確認できます。関係の道具が発掘されているんですね。ただし、平安時代の貴族たちが移動手段に用いたような牛車は、この頃はまだ使われていません。
日本列島に馬がもたらされたのが古墳時代(五世紀頃)で、その飼育法や乗馬法も、多く半島や大陸からもたらされたものと考えられます。馬の飼育にあたった氏族として、馬飼(養)部や臣・造姓の馬飼(養)氏が記録にみえます。牧は馬の交配・出産管理が役割…
多くの子供を産むということは家の安定に繋がります。これは孝行を尽くしたことになりますので、やはり儒教イデオロギーと関連します。 高齢者や孤独者への保障制度は存在しましたが、それもやはり王の徳治を天下に喧伝するための施策であり、現在の社会保障…
それは少なからずあったと思われます。東大寺大仏の鍍金には大量の水銀が使われたと思われますが、そうした水銀や銅による汚染が、平城京から都を遷す契機のひとつになったとする見解もあります。
貨幣の鋳造自体は、天武朝が保有していた中国・朝鮮の最新の技術を結集して行われたものでしょう。最古の富本銭が枝銭の形でも発掘されている飛鳥池遺跡は、金・銀・銅・鉄などの金属類、琥珀・瑪瑙・水晶などの玉類、ガラス、漆などの工房が業種別に並ぶ一…
文武朝の鉱物貢上は文武天皇2年に集中しているので、計画的に調査と採掘が行われたものと考えられます。恐らく、工業についても制度・施設の整備が進められていたので、これまでの各国の産物資料を中心に大規模な調査が行われたのでしょう。当時の国家体制…
正確には、中国でも「当たった内容」ばかりが記録されていたわけではありません。殷代の甲骨文にも、例えば王の占断の結果が事実と異なるという内容のものが確認でき、王に対する直諫を意味するのだと想像する見解もあります。やはり、基本的には、占いは占…
日本文学者の三浦佑之さんが、古老が語り出すという形式で『古事記』を現代語訳したそのものズバリ、『口語訳 古事記』神代篇・人代篇が文春文庫から刊行されています。また、古代から近世に到る日本神話のメタモルフォーゼを追った斎藤英喜『読み替えられる…
件は一般の人に予言をする動物ですから、シャーマンの守護霊とはあまり関係がないと思います。ただしそうした伝承の根源自体に、動物霊を用いて予言をしたシャーマンの存在があった可能性はあります。件はその神格化された姿かも知れません。
今まで巫祝文化ともまったく関わりなく、例えば都市の中心部で普通に暮らしてきた人が、巫病などを契機にシャーマンになるということはあります。ただし、そうした人々がア・プリオリにシャーマンであるというより、民俗宗教に基づく師匠―弟子の関係のなかで…
『往生要集』を著した源信の師匠である良源は、天台宗では、草木成仏論の喧伝者のようにいわれています。彼の説では、生命が生から死に至る四相=生・住・異・滅、植物にもあるその時々の姿が、そのまま発心・修行・菩提・涅槃を表すとなっています。すなわ…
神殺しというより、人間の開発行為によって神が苦しむという物語ですね。これは、古代においてはあまり出てこないのですが、中世付近になってきますと時折見受けられるようになります。神の地位が、人々のメンタリティーのなかで動揺している結果でしょう。…
現在、奈良時代の仏工として名前の分かっている人は17人いますが、そのうち2人が秦氏です。秦自体の規模が大きいことはもちろんですが、それでも2/17というのは結構大きな比率でしょう。17人のなかには丹生を扱う息長丹生氏もいますが、秦氏が鍍金の作業に…
埼玉のハニウは恐らく「埴生」で、埴輪の転訛したものと考えられているようです。ニウの名のある地名は水銀と関わるものが多いのですが、それも正確にはケース・バイ・ケースで、個別の検討を厳密に加える必要があります。
顔料なので、やはり絵を描くのに用いられていますね。秦氏には、「簀秦画師」という複姓を持った者もおり、注意されます。
もちろんです。日本の色彩への感性は、中国との関わりのなかで培われていったといっていいでしょう。自然現象の種類、植物や動物の種類にしても、古墳時代の列島の人々は、さほど豊かに認知できてはいかなったと思われます。それが、漢籍類書(百科事典)の…
邪馬台国は魏へ朝貢していますから、存在自体は認めていいでしょう。しかしその行程の記述は、以前から様々な学説があるように、恐らく正確ではありません。魏にとって邪馬台国など「取るに足らない」存在でしょうから、あまり気にとめなかったのが真相だと…
対馬や壱岐、筑紫に対しても「国」としていますので、小国が連合しているような姿を思い浮かべていたのかも知れません。ヤマトがその盟主なのだということでしょうね。6〜7世紀段階でいえば、それは案外正鵠を射ている見方だったともいえるでしょう。
レジュメには、史料の初出部分でいかなる本に依拠したかを挙げてあります。例えば、「日本古典文学大系」「日本思想大系」など。これらのなかにはいわゆる注釈本、すなわち原漢文の史料を書き下しにして読み仮名を振ってある書物もあります。読み方が分から…
仏教史の一般的整理では、飛鳥時代の仏教は氏族仏教であり、氏族の安泰や繁栄を祈願する現世利益的性格が強かったと理解されています。それと奈良時代の国家仏教とが比較されて論じられるのが普通ですが、しかし、奈良時代にも氏族の仏教はあり、民衆の仏教…
インドの時点で、例えば『法華経』には、女性は仏教で尊貴な存在とされる梵天・帝釈天・魔王・天輪聖王・仏になれない(五障)、ゆえに成仏する際には一度男に変化する必要がある(変成男子)などといった記載があります。これは現実への執着の否定であり、…
出ないでしょうねえ。閻魔による裁判などは、仏教のなかではかなり新しい思想なので、六道の伝統的考え方と整合的でない部分もあるかと思います。また、扱っている経論によって意見の相違もあるでしょう。しかし、範疇としてはすでに地獄のなかですし、閻魔…
基本的には律令に規定があり、それに基づいています。継嗣令第1条に、「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親王とせよ。以外は並に諸王とせよ」とあります。つまり、天皇の兄弟と子供が親王(女性は内親王)、それ以外はすべて王(女性は女王)となるわけです。