2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
周の前王朝である殷代では、夢でうなされることを何らかの神霊の関与として、祟りと捉えました。あまり縁起のいいものとはみていなかったようです。『春秋左氏伝』や『国語』のような伝世文献にも、夢の話はよく出てきますが、悪夢を読み替えによって覆す物…
まだ、肝心なところをお話ししていないためです。順々に。
低湿地帯が不衛生になり、疫病などの温床となることは、世界的に経験された知であろうと思います。南方地域などで河の水、池の水を飲んだりすると、一部腐っていて、下痢や発熱を起こすなどの事例もあります。江南周辺では、例えば三国時代の赤壁の戦いの折…
もちろん、呪術をめぐっても因果関係は確認されていますし、原因と結果も想定されています。つまり、そうした因果関係などの論理的思考が、近代科学と同じ様相ではない、同じようには働かないということです。科学哲学やエピステモロジーでいう、パラダイム…
ガイダンスの際にもお話ししましたが、書式は任意で、手書き/プリントアウトの指定もありません。指定の用紙もありません。ただし、自分で行ってみたことの証明を付けてください。
以前は女帝の問題をきちんと扱っていたのですが、平安時代までゆくために割愛してしまいました。指摘のとおりで、7〜8世紀は女帝が集中しています。かつては、本命の男性天皇が即位するまでの「中継ぎ」論が一般的でしたが、推古朝は蘇我馬子らによる中国…
古韓音は、具体的には、ガ(奇・宜)、キ甲(支)、ケ乙(挙・希・居)、ソ甲(巷・嗽)・タ(侈)・チ(至)・ヌ(蕤)・ヘ甲(俾)・マ(明)・ヤ(移)・ヨ乙(已)・ロ乙(里)などの音です。渡来人の関与したとみられる推古朝遺文や、『書紀』のなかで…
王権や政権に対して著しく被害を与えない限りは、容認し利用していたものと思われます。平安時代には、遣唐使が停止された後も、民間レベルでの交易が続き、平安貴族の間に高価な舶来の品々が愛好されたことは、近年よく知られるようになってきました。後に…
朝鮮半島と倭との関係は極めて深く、半島の南には前方後円墳も幾つか発見されていて、倭から渉ってきて帰国せず、朝鮮の王朝に奉仕した人々の墓であったとみられています。倭が東海(日本海)を渡った先にあるという認識は、ある程度共有されていたとみられ…
幾つかの氏族や村、あるいは戸に編成されて、各地に開墾農民として移住させられています。私たちの住む関東などは、6世紀後半から渡来人集団の移配が盛んに行われたところで、各地に朝鮮系の地名、その地域文化に依拠した神社などが建っています。高麗(コ…
異質、ということはありません。南北朝時代は、とにかく北朝の胡族政権と南朝の漢人政権の対立が激しく、小競り合いが頻繁に生じていました。それぞれの王朝の内部でも、部族同士や王位継承をめぐる内乱が相次ぎ、社会不安が倍増されていたのです。塢堡は、…
主に内政・外交の重要な機能を担っている氏族が、最終的に王権に密接に関与する8氏族をなしたのだ、といった方が事実に近いでしょう。いずれにしろ、合議のトップは大臣や大連ですので、その統括のもとで諸々の業務を分掌しているわけです。勢力の大きさに…
もちろん、日本列島には、現在に至るまで自然環境に神霊の働きをみるような心性が残っていますので、古代のこの時期に自然神への畏怖がまったく焼失してしまうということはありません。藤原京や平城京の工事に参加し、山を削り、森林を伐採し、河川を埋め立…
狭い国土である程度の一般化がなされている日本列島と、広大で56の民族が住む中国とを、単純に比較することはできません。お辞儀に関わらず、礼儀は儒教的秩序を前提とするものですので、主に王権や国家からの矯正が行き届いた地域で社会的に浸透してゆきま…
『ヒストリア』は何でもかんでも持統にしてしまっていましたは、正確には匍匐礼・跪礼が立礼に改められるのは天武朝です。また、その際に「難波朝庭の立礼に更たむ」と出てきますので、孝徳朝の改新政治の折には、一度実行されていたものと考えられます。そ…
当時の東アジアでは、中国王朝の政治・文化が価値の基準でした。文字どおりその文化は東アジアのなかで最高水準であり、それゆえに隣国はこれと冊封体制を結んで文物を輸入、消化しようとしてきたわけです。中国でも古代王朝の殷の頃には太陽信仰でしたが、…
その伝記にどのような意味でフォローしたと書いてあったのか分かりませんが、実は小野妹子は、煬帝が激怒した国書への返信と思われる国書を、帰国中に百済で盗まれ紛失してしまったと奏上しています。本当なら恐るべき大失態ですが、彼は罪に問われません。…
中国に仏教が伝来し、次第に浸透してゆくのは後漢以降、本格的に受容と消化が進むのは南北朝期となります。この間、梁や隋のように仏教治国策を採る王朝もありましたが、北魏や北周では大規模な廃仏があり、老子の子孫を標榜する唐でも国家的廃仏が企図され…
日本列島は、古代においては、おしなべて東アジアの後進国です。中国や、それと直結する朝鮮諸国から先進的文化を摂取することで、成長してきたといって間違いありません。この時期には、南北朝の動乱のなか、倭の五王以降は中国王朝と直接連携が図れず、中…
いずれも、日本古代の通史において、なぜそれが中心的テーマとして設定できるのか、きちんと説明できていれば大丈夫です。
六朝時代の道教は、仏教思想を採り入れつつ体系化され、教団としての発展を遂げました。最大の勢力である茅山道教、いわゆる上清派では、それまで道教にはなかった輪廻思想も採り入れられ、人間は生き死にを繰り返し善行を積むなかで浄化されてゆき、ついに…
中国医学の場合、宋代に大きな画期があるとされていますが、もちろん、完全に分離するわけではありません。呪術的な対応は、中国医学のどこかに残り続けてゆきます。また、科学/呪術の区別も相対的であり、西洋医学の側からは、気の流れや経絡などを重視す…
中国では、森羅万象の意味付け、カテゴライズが、ほぼ陰陽五行説を用いて行われます。時間・空間を分節する十干十二支も、五行説で定義されることになるわけです。すると、その日時に力を持つ神霊、活動が活発になる神霊も、それぞれ五行説に応じて分別され…
「名は体を表す」という諺がありますが、ラベルとしての名称がその存在の本質と密接に結びついているという発想は、いわゆる原始社会からみられるようです。呪術の系統でいえば、類感呪術の一種と位置づけられるでしょう。これは、類似したものどうしは互い…
そうですね、食唐鬼木簡が天然流行時に用いられたという推測は、まず二条大路側溝の出土場所から、その廃棄元が皇后宮もしくは藤原麻呂邸と考えられること、廃棄の時期が天平7〜9年と考えられることなどに基づいています。また呪符の用途が治病であり、形…
『古事記』ではヤマタノヲロチを、川の神だとは表現していません。その特徴を記述した部分には、「その目は鬼灯のように赤く、胴ひとつに頭と尾が八つずつある。また、体中に蘿(ヒカゲカズラ。シダの一種)や檜、杉が生えている。身体の長さは八つの谷、八…
授業でも説明しましたが、「明鏡」すなわち美しい鏡とは、よく映る鏡という意味です。実像をありのままに映す鏡は女性に敬遠されるだろうという、二重のジェンダー・バイアスがかかった皮肉がみてとれます。鏡が邪なものを却けるという、これまた洋の東西を…
呪術に対する信仰は、これほど科学技術が発達し、科学信仰が席巻している現代になってもなくならないので、それほど簡単にはゆかないようです。もちろん、時代時代のなかで、社会的常識や習俗と格闘していたひとのなかには、呪術や宗教的迷信に懐疑的な人も…
もともとはその防腐効果に端を発するのでしょうが、かなり早くから破邪の機能を持つとする発想があったようです。施朱の習俗自体は旧石器時代よりみることができますので、不老長寿云々も、そこから派生した考え方でしょう。また、液体状態の水銀は、金属で…
道教思想に基づくものだ、とは説明していません。あくまで事例として挙げた経典が道教のものであり、そうした発想が道教に採り入れられ意味付けされたのだ、ということです。刑死者、とくに非業の死を遂げた者が災禍をなすという発想は、ヨーロッパにもみる…