2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

6種の夢はどちらかというとマイナスのものが多い気がしますが、これにも理由はあるのでしょうか。

周の前王朝である殷代では、夢でうなされることを何らかの神霊の関与として、祟りと捉えました。あまり縁起のいいものとはみていなかったようです。『春秋左氏伝』や『国語』のような伝世文献にも、夢の話はよく出てきますが、悪夢を読み替えによって覆す物…

疫鬼が水と関係することについて、なぜ呪術で毎回水が出て来るのか納得できません。

まだ、肝心なところをお話ししていないためです。順々に。

疫病が水と関係して考えられていたのは、中国だけなのでしょうか。同時期の他の地域では、別のものとの関連で語られていたこともあったのでしょうか。 / 疫病が水と関わるのは、病を患った患者の排泄物や死体が川に流れたりして感染が広まったからでしょうか。

低湿地帯が不衛生になり、疫病などの温床となることは、世界的に経験された知であろうと思います。南方地域などで河の水、池の水を飲んだりすると、一部腐っていて、下痢や発熱を起こすなどの事例もあります。江南周辺では、例えば三国時代の赤壁の戦いの折…

自然科学では因果関係を観察できます。呪術でも、施術と効験で、験の有無などの、自然科学と同じ考えが出て来る余地はなかったのでしょうか。また、験のない呪術が廃れない理由は何ですか。

もちろん、呪術をめぐっても因果関係は確認されていますし、原因と結果も想定されています。つまり、そうした因果関係などの論理的思考が、近代科学と同じ様相ではない、同じようには働かないということです。科学哲学やエピステモロジーでいう、パラダイム…

博物館レポートについて質問なのですが、指定の用紙があるわけではなく、ワードで書いたものを印刷して提出すればよいのでしょうか?

ガイダンスの際にもお話ししましたが、書式は任意で、手書き/プリントアウトの指定もありません。指定の用紙もありません。ただし、自分で行ってみたことの証明を付けてください。

飛鳥〜奈良時代は、他の時代と比べて女帝が多いと思います。何か理由があるのでしょうか。

以前は女帝の問題をきちんと扱っていたのですが、平安時代までゆくために割愛してしまいました。指摘のとおりで、7〜8世紀は女帝が集中しています。かつては、本命の男性天皇が即位するまでの「中継ぎ」論が一般的でしたが、推古朝は蘇我馬子らによる中国…

古韓音はなぜ残ったのでしょうか。

古韓音は、具体的には、ガ(奇・宜)、キ甲(支)、ケ乙(挙・希・居)、ソ甲(巷・嗽)・タ(侈)・チ(至)・ヌ(蕤)・ヘ甲(俾)・マ(明)・ヤ(移)・ヨ乙(已)・ロ乙(里)などの音です。渡来人の関与したとみられる推古朝遺文や、『書紀』のなかで…

各豪族が独自に朝鮮半島の交流を持っていたということは、政権自体も容認していたのだろうか。

王権や政権に対して著しく被害を与えない限りは、容認し利用していたものと思われます。平安時代には、遣唐使が停止された後も、民間レベルでの交易が続き、平安貴族の間に高価な舶来の品々が愛好されたことは、近年よく知られるようになってきました。後に…

地図がないのに、どうやって外国へ行けるのでしょうか。

朝鮮半島と倭との関係は極めて深く、半島の南には前方後円墳も幾つか発見されていて、倭から渉ってきて帰国せず、朝鮮の王朝に奉仕した人々の墓であったとみられています。倭が東海(日本海)を渡った先にあるという認識は、ある程度共有されていたとみられ…

渡来人について、さしたる知識や技術のない一般的な人々は、どのように日本へ受け容れられていったのでしょうか。

幾つかの氏族や村、あるいは戸に編成されて、各地に開墾農民として移住させられています。私たちの住む関東などは、6世紀後半から渡来人集団の移配が盛んに行われたところで、各地に朝鮮系の地名、その地域文化に依拠した神社などが建っています。高麗(コ…

日本に渡来してきた中国系の人々は、中国のなかでも異質だったのでしょうか。 / 塢堡は、なぜ移動してきたのでしょうか。

異質、ということはありません。南北朝時代は、とにかく北朝の胡族政権と南朝の漢人政権の対立が激しく、小競り合いが頻繁に生じていました。それぞれの王朝の内部でも、部族同士や王位継承をめぐる内乱が相次ぎ、社会不安が倍増されていたのです。塢堡は、…

8氏族の担う役割が重複していますが、分担関係、協力関係はどのようになっていたのでしょうか。

主に内政・外交の重要な機能を担っている氏族が、最終的に王権に密接に関与する8氏族をなしたのだ、といった方が事実に近いでしょう。いずれにしろ、合議のトップは大臣や大連ですので、その統括のもとで諸々の業務を分掌しているわけです。勢力の大きさに…

神殺しの言説について、この自然環境を開発してゆくという考え方は、西洋で起こった自然を支配できるとする考え方と同様のものなのでしょうか。 / 神殺しについて、庶民はもちろんですが、王権を構成している氏族たちは、それまでの自然観を簡単に払拭できたのでしょうか。 / 神殺しはうまくいったのだろうか、人々の信仰をそう簡単に変えられるのだろうか。 / 現在、神殺しのような思想はみられないように思いますが、いつ転換したのでしょうか。

もちろん、日本列島には、現在に至るまで自然環境に神霊の働きをみるような心性が残っていますので、古代のこの時期に自然神への畏怖がまったく焼失してしまうということはありません。藤原京や平城京の工事に参加し、山を削り、森林を伐採し、河川を埋め立…

礼制の導入により、現代にある日本人のお辞儀が生まれたのかなと思いました。しかし、それが中国由来とすると、なぜ中国ではお辞儀をする習慣がなくなってしまったのでしょうか。

狭い国土である程度の一般化がなされている日本列島と、広大で56の民族が住む中国とを、単純に比較することはできません。お辞儀に関わらず、礼儀は儒教的秩序を前提とするものですので、主に王権や国家からの矯正が行き届いた地域で社会的に浸透してゆきま…

先日のNHK『歴史秘話ヒストリア』で、持統が跪伏礼から立礼へ変更を行ったと放送されていましたが、聖徳太子の頃に変わったのですか。 / 中国清朝では、三跪九叩頭の礼をさせていましたが、これは日本文化が逆輸入されたものなのでしょうか。

『ヒストリア』は何でもかんでも持統にしてしまっていましたは、正確には匍匐礼・跪礼が立礼に改められるのは天武朝です。また、その際に「難波朝庭の立礼に更たむ」と出てきますので、孝徳朝の改新政治の折には、一度実行されていたものと考えられます。そ…

隋への国書の件、なぜ東西信仰が南北信仰より未開とされたのでしょうか。考え方に違いはあれ、優劣はありませんよね?

当時の東アジアでは、中国王朝の政治・文化が価値の基準でした。文字どおりその文化は東アジアのなかで最高水準であり、それゆえに隣国はこれと冊封体制を結んで文物を輸入、消化しようとしてきたわけです。中国でも古代王朝の殷の頃には太陽信仰でしたが、…

煬帝の不快を招いた国書は、どのように書けば正解だったのでしょうか。当時の礼節をしっかり踏まえていれば、不快にさせずに済んだのでしょうか。 / 幼い頃読んだ伝記のなかに、小野妹子が礼制の無視をフォローしたと書いてありましたが、これは間違いでしょうか。 / 渡来系氏族を用いていたにもかかわらず、なぜ外交の失敗をしてしまったのでしょうか。

その伝記にどのような意味でフォローしたと書いてあったのか分かりませんが、実は小野妹子は、煬帝が激怒した国書への返信と思われる国書を、帰国中に百済で盗まれ紛失してしまったと奏上しています。本当なら恐るべき大失態ですが、彼は罪に問われません。…

日本は古代において、多くの先進的システムを大陸から輸入しています。そのなかに礼制や仏教がありますが、これは模範とした中国が、儒仏習合の制度を古来から形成していたとみてよいのでしょうか。

中国に仏教が伝来し、次第に浸透してゆくのは後漢以降、本格的に受容と消化が進むのは南北朝期となります。この間、梁や隋のように仏教治国策を採る王朝もありましたが、北魏や北周では大規模な廃仏があり、老子の子孫を標榜する唐でも国家的廃仏が企図され…

飛鳥時代の初め、日本は隋や半島に後れを取り孤立してきたといっていましたが、それはなぜですか。

日本列島は、古代においては、おしなべて東アジアの後進国です。中国や、それと直結する朝鮮諸国から先進的文化を摂取することで、成長してきたといって間違いありません。この時期には、南北朝の動乱のなか、倭の五王以降は中国王朝と直接連携が図れず、中…

期末レポートで、中臣鎌足から藤原頼通までの藤原氏の歴史を扱いたいのですが、可能でしょうか。 / レポートについて、氏族の流れをテーマにするのは構いませんか。

いずれも、日本古代の通史において、なぜそれが中心的テーマとして設定できるのか、きちんと説明できていれば大丈夫です。

史料として挙げられている道教の経典には、仏教思想と思われるものが多い気がしました。また、「愛」「悟」といった、今の私たちにはよいイメージの言葉が鬼の名前として使用されているのは、なぜなのでしょうか。

六朝時代の道教は、仏教思想を採り入れつつ体系化され、教団としての発展を遂げました。最大の勢力である茅山道教、いわゆる上清派では、それまで道教にはなかった輪廻思想も採り入れられ、人間は生き死にを繰り返し善行を積むなかで浄化されてゆき、ついに…

医術と呪術がはっきりと分けられるのは、いつ頃なのでしょうか。西洋医学が中国に流入するのを待ってからなのですか。

中国医学の場合、宋代に大きな画期があるとされていますが、もちろん、完全に分離するわけではありません。呪術的な対応は、中国医学のどこかに残り続けてゆきます。また、科学/呪術の区別も相対的であり、西洋医学の側からは、気の流れや経絡などを重視す…

なぜ時間の経過によって、発熱を起こす鬼の種類が違ってくるのでしょうか。

中国では、森羅万象の意味付け、カテゴライズが、ほぼ陰陽五行説を用いて行われます。時間・空間を分節する十干十二支も、五行説で定義されることになるわけです。すると、その日時に力を持つ神霊、活動が活発になる神霊も、それぞれ五行説に応じて分別され…

「名前を知る」ということによってコントロールを試みるというお話が、『千と千尋の神隠し』にも似ていると思いました。このような考え方は、どこから発生したものなのでしょうか?

「名は体を表す」という諺がありますが、ラベルとしての名称がその存在の本質と密接に結びついているという発想は、いわゆる原始社会からみられるようです。呪術の系統でいえば、類感呪術の一種と位置づけられるでしょう。これは、類似したものどうしは互い…

食唐鬼木簡が、長屋王の怨念を前提にしているという根拠が、いまひとつ希薄な気がしました。そもそも、この木簡が天然痘流行を念頭に置いていたということが、内容からはあまり窺えない気がします。

そうですね、食唐鬼木簡が天然流行時に用いられたという推測は、まず二条大路側溝の出土場所から、その廃棄元が皇后宮もしくは藤原麻呂邸と考えられること、廃棄の時期が天平7〜9年と考えられることなどに基づいています。また呪符の用途が治病であり、形…

ヤマタノヲロチは、『古事記』では川の神だと思っていましたが、なぜ山の神の名前を持っているのでしょうか。

『古事記』ではヤマタノヲロチを、川の神だとは表現していません。その特徴を記述した部分には、「その目は鬼灯のように赤く、胴ひとつに頭と尾が八つずつある。また、体中に蘿(ヒカゲカズラ。シダの一種)や檜、杉が生えている。身体の長さは八つの谷、八…

婦人鬼の仕業の発熱の際に美しい鏡を持つのはどうしてなのでしょうか?

授業でも説明しましたが、「明鏡」すなわち美しい鏡とは、よく映る鏡という意味です。実像をありのままに映す鏡は女性に敬遠されるだろうという、二重のジェンダー・バイアスがかかった皮肉がみてとれます。鏡が邪なものを却けるという、これまた洋の東西を…

呪術と医術を並行して処方しているとき、何らかの事情で片方が欠けた時の情況を述べた史料はないのでしょうか。呪と医(薬)の分離の始まりになると思いますので。

呪術に対する信仰は、これほど科学技術が発達し、科学信仰が席巻している現代になってもなくならないので、それほど簡単にはゆかないようです。もちろん、時代時代のなかで、社会的常識や習俗と格闘していたひとのなかには、呪術や宗教的迷信に懐疑的な人も…

不老長寿の薬として水銀からつくられた丹ですが、司馬遷『史記』にも秦の始皇帝の墓には水銀の海がある…というような記述があったと思いますが、水銀は古代の人々にとって特別なものだったのでしょうか。

もともとはその防腐効果に端を発するのでしょうが、かなり早くから破邪の機能を持つとする発想があったようです。施朱の習俗自体は旧石器時代よりみることができますので、不老長寿云々も、そこから派生した考え方でしょう。また、液体状態の水銀は、金属で…

処刑されたものが病を引き起こすという考えは、西洋の悪魔祓いなどの呪術的なものにはみられないのでしょうか。道教思想の影響を受けていない文化で同じような例がみられれば、上記の考えは道教思想に基づくという考えは成り立たないと思いました。

道教思想に基づくものだ、とは説明していません。あくまで事例として挙げた経典が道教のものであり、そうした発想が道教に採り入れられ意味付けされたのだ、ということです。刑死者、とくに非業の死を遂げた者が災禍をなすという発想は、ヨーロッパにもみる…