2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

1948年に制定された「優生保護法」について調べているのですが、これも「旧土人保護法」同様に差別感のあるものでしょうか。

妊娠中絶の権利、あらゆる個体生命の尊重という点が密接に関係してきますので、一概に価値判断を下すことは難しいですね。例えば、時代性の問題。東京大学の東洋文化研究所の所長を務め、国立民族学博物館の創立にも加わった文化人類学者泉靖一は、朝鮮半島…

適切な表現かどうか分からないのですが、アイヌ語を他の方言と同じだと考えると、同じ日本人なのかなと思います。差別されたアイヌ民族は、抵抗や反乱はしなかったのですか。 / 本州で生まれた人間が、アイヌ民族や沖縄の人を同じ日本人だと思うことは、よくないことですか。

まず、国民国家の主権概念としての「日本国民」と、民族文化的要素を包含する「日本人」という語を、きっちり区別して議論しなければなりません。そのうえで、彼らの主体性に立って、ものごとを判断すべきです(アイヌ語については、いわゆる日本語とはかな…

日本は明治以降万博に出展し、先住民族の文化としてアイヌの展示を行ったとされています。なのに現在その先住性を否定するというのは、ダブル・スタンダードで違和感を覚えました。

確かに、「先住性を認めるか否か」という点では、180度意見が違ってしまっていますね。しかし、差別性という意味では、同じ構造を抱えています。先住民族としてのアイヌ文化を「展示」するということは、実はこの時代、優生学的な差別思想を含んでいるのです…

たしかに先住民族に対する政府の対応はよくないものだと思う。しかし私は、阿寒湖にあるアイヌコタン村へ興味本位で行ったことがあるが、とても不気味で二度と行きたくない触れたくないと一種の恐怖を感じた。これが昔もそうだったら、支配し和人化したくなる気がした。みんなも、まずアイヌを体験してから意見をいうべきだと思った。

うーん、難しいですね。傷つかずに聞いてほしいのですが、そうした「不気味さ」を覚える感性こそ、実は差別の根源です。なぜ不気味だと感じるのか、恐怖を感じるのか、そのことをよく考えてみてください。実際には何もされてしまうのに、何かされるように勝…

アイヌ解放同盟は道庁爆破を行うなどの新左翼系の組織であると思うが、連合赤軍のような吊し上げの行為に及んでいるならば、機動隊の存在も当然のことであるのではないか。

どこでそういう話を聞いたのかは分かりませんが、1976年の北海道庁爆破事件については東アジア反日武装戦線が犯行声明を出しており、これも明確な証拠がないので分かりませんが、左翼過激派で同戦線とも交流があった大森勝久が逮捕されています。前後の爆破…

北大の事件で、「アイヌを排除した」という講義は具体的にどういうことなのか。区別ではなく排除、というのが気になりました。

「排除」は、「北海道経済史は日本人を主体にした開拓史であり、アイヌの歴史は切り捨てる」という林教授の宣言を意味します。つまりその学問のあり方自体が、アイヌの存在を排除することによって成り立っている。林は、「開発は和人が主体であり、アイヌは…

先住民族の権利に関して、国連から勧告があるにもかかわらず、日本政府が公認しないのは、政府にとってどのようなデメリットがあるからなのでしょうか。

例えば沖縄について、琉球王朝を独立した主権国家として認めてしまうと、それを強制的に併合した帝国日本の責任が問われます。賠償責任なども生じうるので、例えば現在のように沖縄へ日米安保に基づく基地負担を押しつけるなどの理不尽は、まったくできなく…

固有の民族文化を守ろうという現代の人々の上からな「保護意識」も、同じようなものに感じました。

「サバルタンは語ることができない」、すなわち代弁の暴力という意味では、そのとおりです。しかし誤解してほしくないのは、国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は世界の先住民族が主体的に働きかけた結果として採択されたものであり、いわゆる「…

「旧土人保護法」について、アイヌの教育支援を行うことがアイヌ文化の村長になっていないなら、共存は非常に難しいと感じました。昔になればなるほど、なぜ排他的思想が強いのでしょうか。

「旧土人保護法」の同化政策は、アイヌの独自の文化を解体することに主眼があり、そもそも「共存」ではなく「吸収」を目的としていたのです。異なる価値をお互いに尊重し合うのではなく、自分の価値に屈服させようとしたわけです。現代と当時とどちらが排他…

2015年に修訂される前の教科書は、なぜ認可されていたのですか。政府の考え方が変わったということですか。

そうです。2015年に適用された新検定基準には、「政府の統一的見解がある場合は、それに基づいた記述をする」との項目が、新たに付け加えられました。これは、例えばまったく政治思想の異なる政権が誕生した場合、そのイデオロギーに基づいて歴史記述の取捨…

渡来人の問題について、一方で差別し抵抗意識がありながら、一方で受容しあるいは信仰する心理が、正直よく分からなかったです。心のどこかで畏怖の念を抱いていたのでしょうか。

非常に難しい問題ですが、渡来人に限らず、人間は自分の日常的世界を侵犯する未知なるものについて、期待と拒絶という両義的な心理を持ちます。これは共同体の古代祭祀にも反映していて、村落の周縁=境界で行われる祭儀は、来訪神が善なるものであった場合…

国誉めが占有に繋がるということが気になった。なぜそのような論理になるのだろうか?

国誉めは、言葉の力を借りて土地のエネルギーを活性化する行為です。大化前代においてそれが許されたのは、その地域と人格的な繋がりを持つ地域首長であったと考えられています。それゆえに、国誉めは支配の確認であり、例えばその地に名を与えるという地名…

新羅の王子が帰属を求めて日本へ来たというのが本当だとすると、そのメリットは何でしょうか。わざわざ日本に属する理由が思いつきません。

いや、アメノヒボコ伝承自体、やはり、史実として「帰属」を願い出たものと読むことはできないでしょう。『日本書紀』のほうにみえる帰属の経緯を語る具体的な記述は、恐らくは粉飾です。しかし、「弟に王位を譲ってやって来た」という言説形式は、自国で政…

ポリビュオスの政体循環論において、ローマの混合政体が理想的だったというのは、どの点においてでしょうか。

各政体の理想的型である君主制、貴族制、民主制が調和をもって共存している状態こそが、ローマの混合政体であるとの考え方です。それまでのギリシアの政体は、3つのうちそれぞれが単独で形をなしていたために、理想型からの退行によって別の政体へと移行し…

「ヒストリア」のもともとの意味が「探究」であったというのは、当時の学問の中心が歴史学であったということですか?

これも少し違います。ヘロドトスが歴史の父と呼称されるに及んで、その著作である『ヒストリエ』が、歴史の代名詞になったということでしょう。

日本古代の太占は、甲骨文字と関係があるのだろうか? / 日本でも古くから占いがあったのでしょうか?

日本の古代国家における正式・正統な卜占は、神祇官の卜部が担う亀卜でした。これは、古墳時代に中国江南から採用したものと考えられており、時期的に考古遺物によっても裏付けられます。一方の太占は弥生時代から確認できる熱卜で、鹿の肩甲骨を用いるもの…

殷代において卜占が形式的になっていったのはなぜですか?

武丁期に最盛期を迎える甲骨卜辞においては、王の一挙手一投足を卜占するような状態であり、それゆえに卜辞を通じて王の事跡が記録されたわけです。しかし帝辛期にはそうした臨時の卜占がなくなり、卜占の回数自体も減少して、王の事跡を詳細に記録すること…

自分でモノを作らない商業は、どこにおいても卑しいものとみなされたのでしょうか。

中国においては、商業の「商」が殷を指すように、このなりわいは、聖代の周王朝にあって滅ぼされ流民となった殷の人々がなすもの、との差別的な認識もありました。しかしそうした言説は、王権が人民を生産に専念させ、流通を管理して利益を独占するための情…

『日本書紀』のような日本古代の史書が、『春秋』のような性格を持っていないのはなぜでしょうか。

ひとつには、日本列島においては、複数の古代国家が競合・興亡するという情況に至らなかったことに原因があります。周王朝末期の春秋・戦国時代は群雄割拠の時代で、ほんの少しの判断の誤りが、一族や王権、国家の滅亡を招来する危険性がありました。そうし…

ヨーロッパ中世において、キリスト教を信仰していた庶民たちはラテン語で書かれた聖書を読むことができず、教父の説教などに頼ったが、当時のラテン語には文字の神秘性が付与されていたのだろうか。

そうですね、キリスト教におけるラテン語や仏教におけるサンスクリットなどは、次第に神聖文字・典礼文字としての要素を色濃くしていったものです。これは、神聖なものを記し語る言葉を日常のそれとは区別しようという、宗教における卓越化の表れと考えられ…

中国ではまだ占いによる記録をしていた頃、同時期のギリシアではすでに記録から探究、学問の域にまで達していたことに驚きました。この差はどこで開いたのでしょうか?

それは誤解です。ヘロドトスらの著作はB.C.4世紀前後、一方の甲骨卜辞はB.C.14世紀頃が盛期なので、1000年中国のほうが古いことになります。ヘロドトスらの著作と同時期の史書は『春秋』や『竹書紀年』で、王権を正当化する要素の強いものですが、後の史書の…

ギリシャ・ローマの史書が未来のために書かれたように、口承においても、未来をどう進めるべきかということは伝えられていたのでしょうか。

それこそ、シャーマンにおける卜占、神殿における託宣などは、未来を展望する口承でしょう。デルポイのアポローン神殿における託宣が、いかに多くの人々の未来を束縛・規制したかは、種々の神話や記録に見出すことができます。東アジアの歴史記述が卜占から…

トゥキディデスは、ヘロドトスの歴史叙述を批判したとのことですが、その誤りの多さなどをどのように検証したのでしょうか。 / トゥキディデスの科学性はどのように獲得されたのだろうか?

ヘロドトスが種々の口碑伝承=物語を史料に歴史を記述した点について、物語の虚構性を排し記録の事実性を追求したということでしょう。授業でお話ししたように、古代的客観性において「史実であるか否か」は、未来のために参照しうる材料として役に立つかど…

「歴史は繰り返す」という言葉は、マルクスも口にしたと思います。唯物史観もそこから生まれたと思いますが、彼も一種の政体循環論者だったのでしょうか。

「歴史は繰り返す」は、古代ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉とされ、マルクスはそれを引用して、「歴史は繰り返す、一度目は悲劇、二度目は喜劇として」と述べたわけです。ルーフスの場合は一般通念を言葉にしたに過ぎませんが、その内実は、文…

一世一元も、大事紀年の一種でしょうか?

少し違いますね。大事紀年は、基本的に1年ごとに年の呼称が違ってきてしまいますが、一世一代の元号は、王・皇帝が退位しない限り用いられます。とにかく、その年の重要な一事件で1年を表すのが大事紀年、以事紀年です。

殷代の卜占について、以前本で、結果は予め望んだものが得られるよう調整されていたと読んだのですが、本当でしょうか。

講義で紹介した落合淳思氏などは、その代表的な論者ですね。しかし個人的には、すべての甲骨卜辞の事例をそう解釈できるか、それはあまりにも近代的な解釈に過ぎないのではないかと考えます。卜占が神霊との交渉を必要とすることは、文化人類学的な調査・研…

殷代当時の占いが王朝に影響を及ぼしていたことから、占いによる王朝支配があってもおかしくないと感じた。また、卜官が王という立場になる可能性はなかったのか?

祭政一致の神聖な王は、宗教的な能力とともに強大な軍事力も有しているために王なのであり、卜兆を読み解く力もそのことと無関係ではありません。殷における史官=卜官は知識人ではありましたが、やはり王のもとで宗教的業務をなす専門職であって、政治的・…

卜占に使用されていた骨は、食用の動物のものですか、それとも卜占専用に飼育されていたものですか。 / なぜ牛の骨や亀の甲羅を用いたのでしょうか。 / なぜ骨や甲羅に生じたひびで、占いをするようになったのでしょうか。

中国の卜占には、狩猟採集時代には主に主要な狩猟動物である鹿、牧畜時代には羊や牛、とくに占いに使用しうる面積との関係で牛、やがて亀甲が使用されるようになりました。もともとは神霊に対して動物を供犠すべく火に投じており、燃え残った骨の色合いや状…

古代中国では、他の地域のような占星術は発展しなかったのでしょうか?

発達していました。そもそも中国の史官は、卜占とともに暦の作成を主要な役割としており、それは天文の観測なしには成就できない職務だったのです。『春秋』『国語』などの古い史書には、熱卜や夢告などの内容を解釈するために、天文の運行と神話が重なりあ…

新石器時代中期の墓の副葬品に、卜占に用いた亀甲と小石が収められていたと、東洋史で勉強したことを想い出した。

おっ、よく知っていますね。それは、亀の甲羅を使用した熱卜である、亀卜の起源ともいえるものです。1980年代以降、黄河下流域〜揚子江流域における大汶口文化早期以降の大型・中型墓より、亀の腹甲・背甲を綴り合わせて囊状にした器物が、多く小石や骨針・…