2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

日本ではなぜ、口語を発することが尊貴さの象徴とされたのでしょうか。文化的であることが必ずしも尊貴さとは結びつかず、自然が重んじられたということでしょうか。

文字使用が一般的ではなかった古代社会においては、首長の口頭の命令、長老やシャーマンによる共同体の掟、神語りの託宣が、集団の結束と規律、円滑な経営を達成するうえで重要な意味を持ったことは間違いありません。また口頭のコトバは、その抑揚やリズム…

古代の史書の扱う時間が短いということは、当時の歴史家には古代・中世・近世・近代といった区分はまだなかった、ということでしょうか。

もちろんありません。紀元前後、古典世界でもキリスト教でもその萌芽はありますが、明確な時代区分が始まるのは授業で扱ったアウグスティヌスで、また現在の区分法に繋がる古代・中世・近代との3区分法は、ルネッサンス期を待たねばなりません。ただし、こ…

『淮南子』で粟を降らせた天は、キリスト教の神と違ってずいぶん優しい印象です。中国の天、ヨーロッパ・キリスト教の神に対して、それぞれの地域の人々が抱く感情には、何か違いがあったのでしょうか。

ここでの天は、確かに優しいですね。高誘が『淮南子』の文章を解釈して再創造した内容で、独自の意味を持つと考えたほうがよさそうですが、もちろん当時の神観念と無関係ではありません。中国の天は、ユダヤのヤハウェほど人間に期待していない、人間へ使命…

日本で使用している擬態語は、いつ作られたのでしょうか。

『古事記』の段階でもう出てきますが、そのなかには現在意味の伝わっていないものも多いですね。例えば、『古事記』雄略天皇段で、天皇に襲いかかる猪の状態を表現したウタキという言葉。一般的には憤怒の様子を示しているとされますが、藤井貞和さんは、そ…

『古語拾遺』のなかでは、文字の発達によって「智賢の豊かな古老」が嘲笑されるようになったとありますが、それがシャーマンや古老のような場合でも嘲笑されてしまったのでしょうか。

『古語拾遺』が問題にしているのは、まさにそこです。この書は、同じ神祀りを行う一族でありながら、藤原鎌足を輩出したことで王権側から優遇されるに至った中臣氏を、批判するために書かれたものでもあります。『日本書紀』に掲載される神話のヴァリアント…

記号に意味がついたら文字になるのか、音がついたら文字になるのか、文字をどう定義すべきか分からなくなりました。

前にも少し書きましたが、記号が文字化しているか、文字として扱えるかは、連辞・連合関係によって考えるべきだと思っています。つまり、複数の記号が組み合わされたとき、隣同士の記号が連なって、ひとつの記号で表す以上の意味を持ちえているか。また全体…

神話には、複数のもので一部内容が酷似しているものがあると思いますが、それはどのようなメリットがあってオマージュしたのでしょうか。それとも偶然でしょうか。

神話は概ね集合的なものですので、作家主体の明確な文学のように、意図的に何かをオマージュして構築される、という見方はできません。国や地域、始祖に関するさまざまな伝承、森羅万象の起源を伝える多様な神話は、それぞれ、世界中にさまざまな形式があり…

ヒボコの神宝のひとつの布(領巾)とは、夫の船出を見守る松浦佐用姫伝説にも登場しますが、昔から波などと関連づけられていたのでしょうか?

必ずしもそうではありません。日本では女性の装飾具で破邪の呪力を秘めたものとされ、古くは『古事記』神代巻におけるオホナムチの根国訪問譚で、スサノヲの試練として蛇の室、呉公・蜂の室で一晩を過ごすことになったオホナムチが、スセリビメの助けを得て…

アメノヒボコは新羅の王子なのですから、朝鮮式の名前もありますよね? その名前から、どうしてアメノヒボコという名になったのでしょうか?

これが本当に新羅に由来する神話なのか、それとも幾つかの半島由来の要素を組み合わせ、日本で作り上げたものなのかは、議論が分かれるところです。後者の場合、「ヒボコの朝鮮名は何か」という問いには、あまり意味がありません。ただし、朝鮮三国も漢字・…

天之日矛の話で、「卑しい女」「卑しい男」が出てきて、男は女から赤い玉を貰っていますが、この赤というのは、太陽を表す意味での赤なのでしょうか。また、「卑しい女」というのは、生み落とされたものの高貴性を妨げることにはならないのでしょうか。

恐らく、太陽の力の象徴とみてよいのでしょう。「卑しい女」「卑しい男」は、一般の男女という意味で構わないだろうと思います。しかし、この筋書は確かに複雑で、なぜアカルヒメの誕生にこの男女を介在させなければならないのかは、よく分かりません。恐ら…

牛が疫病の象徴としても現れることを考えると、水の神と疫病の神が、同じモチーフに委ねられるというのは、水害と疫病が密接に関係しているため、とみることは可能ですか(半島では疫病を牛モチーフでみることはあるのでしょうか)。

その可能性はありますね。一昨年の特講ではそのあたりを詳しくお話ししたのですが、中国南北朝時代には、洪水と疫病流行がセットになった終末観が語られます。そこでの疫神の継承は人間形であって牛ではないのですが、やがて仏教における地獄の獄卒が牛頭・…

北陸出土の新羅の遺物という方形板は、何に使うものなのでしょうか。

冠の装飾ですね。講義で例示した、方形に対角線が入り二葉文を用いる形式は、中国遼寧など東北部から高句麗を介し、新羅へ受け継がれる様式であると考えられています。

厳島神社と市杵嶋姫命は、読みは同じで漢字は大きく異なっていますが、二つに何か関係はあるのでしょうか。

厳島神社も、市杵嶋姫命を祀る神社です。宗像三女神は航海の安全を保障する神格として各地に波及し、平安京内、例えば藤原良房の邸宅にも奉祀されていたことが確認されます。イツクシマ自体は、シマそのものを神格としてイツク=崇め祀ることを意味しますの…

秦河勝が建てた広隆寺が、かつて北区の平野神社の付近にあったのはなぜでしょうか。また、秦氏は仏教興隆に尽くした氏族なのに、彼らの本拠地の太秦周辺に神社ばかりあるのはなぜなのでしょうか。

葛野秦氏は7世紀に至っても前方後円墳を造営していたとのことですが、他にも同時期に前方後円墳を造営していた氏族はあったのでしょうか。

なぜ、大酒神社は「辟」の字を使わなくなってしまったのでしょうか。

恐らく、松尾大社が中世から近世にかけて酒の神としての霊験を強めていったこと、秦氏の伝説的始祖酒公に仮託したことが原因です。治水の機能、水路保護の機能などは広隆寺や大井神社も分有していたため、大酒神社のオリジナリティを強調する必要があったの…

葛野秦氏は、玄界灘の宗教環境を本拠地に再現していたため、北陸から可能性は低いとのことでしたが、このような宗教環境が伝聞によって再構成された可能性はないのでしょうか。 / 葛野秦氏は、なぜそもそも玄界灘の宗教環境を再現したのか。玄界灘に宗教的なアイデンティティーを持っているのでしょうか。

考古学的には、秦氏の渡来と前後して、海人集団の東遷という事態が生じています。北九州地域の海人集団に固有の遺物が、瀬戸内海や淀川周辺の古墳等から発掘され、北九州から畿内諸国へ、海岸部から内陸部へという、同集団の移動があったのではないかと推測…

ハタ・ハダなどの読み方の違いがあるが、それらはどう推測するのか気になった。また、漢字の読みなども、本当に当時の人々はそう読んでいたのだろうか。

漢字を表音文字として用いる部分があれば、中国音韻との関連などから、どのように読んだかは推測かのうです。秦氏の「秦」も現在はハタと訓むのが一般的ですが、波陀との音韻表記があり、蔚珍波旦との関係が強いとすれば、ハダと訓むべきだとの見解も出て来…

秦氏の由来や古韓音の話を聞いて考えたのですが、日本の古代の書物に出て来る人名などの由来を考えるときは、本文に用いられる漢字より、その音の響きを重視して考えた方がよいのでしょうか?

そうですね、まずは音です。奈良時代までの場合、人名表記が異なる漢字で書かれることも少なくありませんので、音に注目したうえで、なぜその字が当てられているのか、あらためて考えてみる必要があります。例えば「蘇我蝦夷」ですが、エミシというのはもと…

ギルガメシュ神話や『古事記』に出てきたように、不老不死に憧れを抱くのは、いつの時代も同じなのでしょうか。

ギルガメシュ神話などでは、これまで怖いもの知らずだったギルガメシュが、親友エンキドゥの死によって生の有限性を痛感する、という流れになっていますね。『史記』始皇帝本紀では、皇帝となって絶大な権力を掌握した秦王政が、神仙思想との出会いを通して…

文字使用の問題性を語る神話は、今まで口承によって有利な地位を得ていたシャーマンが、地位が危うくなることを感じて盛り込んだものなのではないか?

それは充分考えられることなのですが、やはり「文字使用を憂える言説」が文字として残っている点が重要です。中国の史官の例にしても、これまで口承の神話などを管理していた人々と、神聖文字によって情報の記録・管理、神霊との交渉を始めた人々とは、恐ら…

プラトン『パイドロス』に反映されている文字使用についてのストレスは、書承の呪術性が最初から信じられていたわけではない、ということだろうか?

ぼく自身は専門ではないので不正確な答えになってしまいますが、ソクラテスの語るタモスの言葉は、あまりに宗教的ニュアンスが希薄で不自然な印象もあります。文字の使用が一般化し、世俗的用途に使用されるようになって以降に、あらためて語られた伝承では…

文字記録と口頭伝承が両方あって、どちらが正しいか分からない場合、重要視されるのは文字ですか、伝承ですか。

それもやはり、情況によりますね。一概にどちらを重視するのがセオリー、とはいえないと思います。一時代前の歴史学では間違いなく文字記録を重視したでしょうし、現在でもそうする歴史学者は多いと思いますが、やはり充分に比較検討をして情況を調査せねば…

ナシ族がどのような暮らしをしているのか分からないのですが、表意文字の使用で不便なことはないのでしょうか。部族の人々への普及率や他民族との交流の過程で、変容していかなかったのか気になりました。

授業できちんと話をしていなかったかもしれませんが、トンパ文字はいうなればヒエログリフと同じ神聖文字で、トンパだけしか使用することができません。一般に使われたものではないのです(しかし現在は観光資源化によって、トンパ文化の担い手を育成する学…

トンパ文字の翻訳などは、どのように行っているのでしょう。

トンパ文字については、その読み方、書き方を伝承しているナシ族の呪師トンパが存在しますので、彼らへの聞き取り調査を通じて内容を理解することができます。現在では、調査と研究の積み重ねを通じて大部な辞書もできていますし、トンパ文字とそれを読み上…

デモティックなど消滅してしまった文字も多くありますが、それを使っていた民族がきれいさっぱり消滅したとは思えません。他の言語に移行したのでしょうか?

デモティックはヒエログリフの大衆化した形態ですので、指摘のとおり、エジプト文化圏の一般大衆が絶滅するなどありえません。まず、民族はその民族独自の文字しか使用しないという前提が誤りです。列島文化も漢字の使用と再解釈を通じて独自の文字文化を築…

文字というのはどのように固定してゆくのでしょう。また、口承から書承へ転換した後も、識字率などとの関係から書承の語りは継続すると思われるのですが、実際のところはどの程度の語りが書物になったのでしょうか。 / 書承から口承に戻ることもあるのでしょうか。

授業でもお話ししたように、書承には書承の利点があり、口承には口承の利点があります。現在もあらゆる言葉が文字化されてはいないように、前近代においては、やはり口承の世界が(文字を知らないからという理由だけではなく)躍動していました。日本では柳…

古代から日本は、人口の大半が文字を書くことができました。その点で他の国と異なり口承の部分が少ないと思うのですが、日本は例外的なのですか?

うーん、どこで得た情報か分かりませんが、それは幻想です。確かに、近世以降は江戸などの都市を中心に識字層が広がったといわれていますが、それでも農村も含めて人口の大半が文字を読み、書くことができたとはいえません。古代の場合はなおさらです。授業…

牛の頭という絵や記号から、文字が分かれるのはどのタイミングなのでしょうか。

ヒエログリフの雄牛からヘブライ語の’Alephを経てアルファベットAに至る過程についてですが、それが絵画ではなく、あるいは象徴的な狭義の記号ではなく(広義の記号は文字も含みます)、あくまで文字として機能したと考えられる画期は、やはり文章の一部と…

文字系統図によるとエジプト文字を祖とするヨーロッパ、甲骨文字を祖とするアジアを比べてみて、前者の方が著しく発展しているように思われた。アジアは閉鎖的だったからなのか、民族数が少ないからなのでしょうか。

どうでしょうか。単純に枝分かれと増殖を発展として捉えてよいのか、という見方がまずあるでしょう。また、ヨーロッパとアジアの展開の仕方の相違は、表音文字と表意文字の展開の相違なのであって、発展の高低ではないとみることもできます。また、中国で作…