全学共通日本史(19秋)

なぜ日本は昔、「瑞穂の国」と呼ばれていたのですか。

「豊葦原瑞穂国」とは、豊かな葦原の生い茂る、瑞々しい稲穂の稔る国、という意味です。弥生時代以来、列島社会における権力の伸張は、灌漑稲作の展開とともにありました。これから行われる、天皇の即位祭儀としての大嘗祭も、稲作を前提として成立していま…

ヨーロッパでキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などが発生し爆発的に広がったのに対し、東アジアではあまり一神教の概念自体が生じなかったのではないか、と思います。それはなぜだったのでしょうか?

身も蓋もない云い方になってしまうのですが、実は、現在の宗教学では、一神教/多神教というカテゴライズの仕方自体に疑問が提示されています。例えば、日本古代国家の神話的世界観では、皇室の祖先神=アマテラスを中心とした天神のパンテオンが高天の原に…

大正デモクラシーが続いていたら戦争はなかったかもしれない、と仰っていましたが、その場合、皇国史観にあたるものとしては何が考えられますか?

まず、同時期のドイツにおいて、ワイマール憲法に基づく民主的な体制からナチスが生まれてくることを考えても、世界恐慌からの復帰のために強固なナショナリズムが志向されることは、当時ひとつの必然だったのかもしれません。日本ではさらに関東大震災が重…

中国や韓国からすると、日本の首相が靖国神社を参拝するということは侵略戦争を起こした人物を肯定しているのと同じだ、日本は戦争に対して反省していないというが、戦争を肯定しているのは中国、韓国だろうと思う。軍事費を増やしたり、積極的に戦争を意識していると思う。

困りました、これまでこちらが講義でしてきた話を、8割方聞いてくれていなかったのでしょうか。私も中国や韓国の政治的な駆け引きを100%肯定しているわけではありませんが、慰安婦問題にしろ徴用工問題にしろ歴史認識問題にしろ、彼らが日本に対して主張し…

美濃部達吉の天皇機関説が、大正デモクラシー期に至るまで日本法曹界の通説であったということは、とても驚きました。なぜ、これほどまで天皇が神格化されていた時代に、機関説が認められていたのでしょうか?

天皇機関説は、国家を法人とみて、天皇はそれを運営する機関=オルガンであると位置づけるものです。天皇大権を認めた大日本帝国憲法自体が、その権能を規定している点で立憲主義に則っており、支配の正当性には神話を置きながらも、その神聖性を無制限な権…

江戸時代、伊勢神宮に参拝していた人々は、アマテラスを信仰していたと考えていいのでしょうか。 / 近世以前、日本は多神教という概念はなく、一神教の人が多かったのではないでしょうか。。 / 

近世以前において、基本的に列島社会の信仰のあり方は、当たり前のことながら多神教的です(逆になぜ、「一神教が多い」と思ったのでしょうか?)。授業でもお話ししたように、神仏習合が一般的な状態でしたので、種々の神社仏閣に、たくさんの多様な神仏が…

スサノオのヤマタノオロチ退治は、一体何を意味するものだったのだろうか。 / 『古事記』でアマテラスの弟、スサノオにスポットが当てられたのはなぜですか。

スサノオの神格の意味、起源については複雑で、諸説がありますが、台風や疫病などの災害を表象する神で、朝鮮半島や列島の日本海側にオリジンを持つ存在であったようです。『古事記』はそのスサノオを、アマテラスの弟に設定し、最終的に地上(豊葦原中津国…

最近、オオクニヌシ、アマテラスなど日本の神話における神々をエンタメ化し、ゲームの一部にするのが流行のようです。これに限らず、歴史を表層的に抽出してエンタメ化することに、私は反対です。歴史の本質を読み解く阻害になりかねないからです。

誠実な考え方だと思います。しかし、描き方に問題は種々あるでしょうが、ぼくはそれが、信仰を有する人たちを冒瀆するものであったり、社会的弱者を抑圧するものでない限り、強く反対はしません。なぜなら、前回お話ししたアマテラスのように、時代のあり方…

自国の文化を純粋なものと誤認しがちな日本人の国民性は、いつ・なぜ生まれ、今なお目立って存在するのでしょうか。

古代からエスノセントリズム的なものは、必ず何らかの形で存在はしたのですが、その表現形式は、多く外来のものから成り立っていました。例えば、朝鮮半島を諸蕃、東北の辺境民を蝦夷、南方のそれを隼人と位置づけるような日本的中華思想は、もちろん中国王…

マルクス主義的な歴史観が1989年頃まで長く日本に影響を与えていたという話があったけれど、1989年以前の論文などには、同歴史学の影響を受けたものが多くあるのでしょうか。また、そのような論文をどう扱ってゆけばよいのでしょうか。

もちろん、多くあります。例えば、日本史研究で最も「権威のある」概説講座ものの『岩波講座日本歴史』、1960年代版を紐解いてください。マルクス主義歴史学の用語・概念で埋め尽くされ、なかなか読み進めることも難しいのではないでしょうか。しかし、問題…

グローバル化とはいったいいつから始まったのでしょうか。国家という枠組みができてからですか?

現在のグローバリゼーションは、狭義には戦後、航空網が世界的に拡大し、人・モノ・情報の国際的移動が活発化、人々の政治・社会・経済・文化的活動が、国民国家の枠組みを超越して展開されてきたことを指します。しかしご指摘のように、国境を越えたさまざ…

なぜ江戸時代は過剰に幻想化されるのでしょうか?

江戸時代の幻想化自体は、近代に始まります。いわゆる、近代化の揺り戻しとしての懐古趣味です。明治後期、失われてゆく情緒に対するノスタルジックな憧憬が、文化人を中心に始まりますが、そのなかで江戸期特有の苦しみや痛みは、忘れ去られてゆくことにな…

歴史小説も歴史理解に影響があると仰っていましたが、大河ドラマなどについてはどうお考えですか。

ぼく自身は、歴史小説にしても歴史ドラマにしても、factチェックという意味での関心はあまりありません。それらはあくまでフィクションであるわけで、事実の改変などに対する批判は、そもそも必要のないことです。むしろ、それらのフィクションを通じて過去…

「表現の不自由展」が再開されました。そのなかに、東北における東日本大震災の被害を揶揄するような展示がありましたが、先生はそれについてどう思われますか?

Chim↑Pomさんの映像作品ですね。実際に福島において、自分たち自身も被災しながら、救援活動、復興活動に尽力してきた若者たちの言葉なのだ、という点が重要でしょう。つまり彼らは当事者である、ということです。もちろん、当事者であればすべてが許される…

授業内ではあまり触れられていませんでしたが、別の授業で「支那」を外国からみた中国と学んだので、支那史学が中国史学ではなく東洋史学に改称されたことに疑問を持ちました。

「支那」は、例えば『日本国語大辞典』では、「秦」の国名が西方に伝わって西域語化したものが、再び東方へ入って漢字により音訳されたものとされています。日本では古来、王朝名で呼ぶか、唐以降は概ね「唐」字をもって中国を表象することが行われました。…

ランケの〈神〉が日本の〈天皇〉に置き換えられたとき、「神の真理に近づきたい」というようなランケの動機とは、異なる部分が大きかったように思うのですが?

ランケにおける〈神〉とは客観性の基準となるもので、いわば事実や実証の象徴だったのではないかと思います。ランケ自身が前近代的なものから完全に自由になっていたなかったことは確かですが、それはまた中世的な神のイメージとも異なるものだったでしょう…

◎1に挙がっていた重野安繹の論文にある「至公至平」について、先生はアジア的と仰っていたと思いますが、どういうことでしょう。アジアには公平な倫理観があるということでしょうか。

授業の冒頭の崔杼のところで触れましたが、中国的史官=歴史編纂・保管・運用官の理想像は、天に対して公明正大なポジションを守り、その筆を通じて王権や国家の興廃を記して、後世のため勧善懲悪を実現することでした。六朝の梁の時代に編纂された文学論、…

功利主義と現在主義には相違があるのですか?

狭義の哲学用語としては、最大多数の最大幸福を倫理の基準に置くのが功利主義でしょう。学問その他も、そのために実用的なもの、実効的なものが重視されます。一方の現在主義は、現在の利益のために過去を動員する考え方で、現在と分離したところでは過去の…

ナショナル・ヒストリーを鵜呑みにするのはよくないと思うのですが、基本的な知識がまずなければ、歴史を考える段階にまで至らないのではないでしょうか。

歴史総合などの思考型歴史教育が始まるのを受けて、高大連携歴史教育研究会などでは、例えば授業で学ぶ必要のある語彙の精選などを行っています。最低限必要と考えられるのはいかなる知識か、ということですね。しかし、ここでよく考えていただきたいのは、…

先生は実証主義についてどう思われますか。 / 現代の価値観で過去を捌くことは誤りであると思うが、現代をよりよく生きるために過去に関する知識を用いることは重要と思う。実際に、現代の歴史学はどのような立ち位置なのだろうか。

まず、実証主義歴史学の特徴は、史料を分析することによって〈事実〉を明らかにできるとする認識論、それを公平無私な叙述によって表現できるとする叙述論が根本です。この2つは、1990〜2000年代に世界を席巻する〈言語論的転回〉(後述します)によって否…

実証主義の立場に、「無用より有用を重視する」とあったが、歴史における無用なものとは何だろうか。何をもって有用/無用を分けてゆくのか。

これは、実証主義歴史学というより、コントの実証主義の立場ですね。コントのあり方としては、哲学に科学としての価値を与えることが目的です。現代の日本史においても実学(=自然科学や社会科学の一部)重視、虚学(人文科学)批判が叫ばれていますが、そ…

2020年より思考型歴史教育の授業として「歴史総合」が始まるに際し、国家の介入があるとすれば、それは実現可能なのでしょうか。あるいは、単なる記憶型ではない授業によって、ナショナル・ヒストリーに限定されることは回避できますか?

重要なポイントです。講義でも少し触れたのですが、思考型授業の有意義な点のひとつは、記憶への定着が強まることです。単に受け身的に、教員の話し説明したことを記憶してゆくより、自ら調査し、史資料を解釈し、考え、複数の人たちと議論して到達した見解…

ナショナル・ヒストリーの機能からすれば歴史教育は記憶型にならざるをえない、とのことでしたが、現在も強い国民国家を構築しようとしている国では、歴史研究は発展しないのでしょうか。

歴史教育と歴史研究の関係がどのように位置づけられているか、ということに関係すると思います。例えば、強固な国民国家を建設するために国家が歴史教育に介入してゆくとしても、歴史教育にある程度の自由が保障されているならば、学問としての歴史研究には…

ナショナル・ヒストリーは国家を正当化するためのもの、とのことだが、その正当化は誰に向けられているのか。国家は事実存在しているのに。

国家が厳然として存在し、正当化する必要がないと感じるのは、まさに国家によって「自国を正当なものとして認識する」教育が達成されているためです。なぜなら、ぼくらの世代はつぶさにその状況をみてきましたが、国民国家が統治の正当性を失って崩壊してゆ…

あいちトリエンナーレの昭和天皇の写真を燃やした作品ですが、人間の写真を燃やしているのを展示するのは、許されないことだと思います。それが天皇であっても、ただの国民であってもです。

これは、ぼくの説明の仕方が悪かったかな、と思います。まずあの作品、嶋田美子「焼かれるべき絵」「焼かれるべき絵:焼いたもの」のあり方ですが、きちんとその内容や意図が報道されていないのではないでしょうか。リンク先を参照してください。この作品の…