歴史学特講(17春)
川や海など、大量の水の持つ浄化作用(もちろん根本的な浄化ではなく、「拡散」に過ぎないわけですが)を、経験的に知ったことに由来するわけですが、それだけ日本列島が水の豊かな環境にあったということです。また、海の向こうには浄穢渾然一体の他界があ…
残念ながら史料的に確認はできません。近代に至るまで、発症者は共同体に止まることができず、漂泊を余儀なくされる場合も多かったと考えられます。中世の『一遍上人絵伝』などにみるように、路傍に座り込むハンセン病患者の姿は、古代でも見受けられたでし…
古代の医療情況では、感染すると完治できない業病であり、それゆえに感染経路や予防措置などは講じられていなかったので、近代以降より発症率は高かったはずです。しかし感染力が弱いことから、いわゆるパンデミックなどが招来されることはなかったでしょう。
確かに、前近代の列島社会においては、他とは異なる障がい者を神聖なものとして遇する風習もあったようです。北海道洞爺湖の入江貝塚から出土した縄文期の人骨「入江9号」は、小児麻痺により四肢の動かなくなった女性が、成人するまで生存していたことを明…
共通との相違ゆえの忌避というのは、マジョリティであらねばならないという現在の風潮に通じるものがある。日本は単一民族国家であるという幻想のなかで生きているせいだと思っていたが、古代でもそうなのだろうか。
確かに、近代国民国家下の社会よりは古代社会のほうが、差異については寛容であり、多様性を保持していたと考えられます。前近代の差別などを扱う通常の研究も、そういう「括り」を付けたがるんですね。しかし今回の講義では、そうした常套的なまとめのあり…
まず、民族という概念に誤解があるかもしれません。民族とは、人種のような自然科学的生態学的概念ではなく、あくまで文化的社会的概念です。すなわち極端なことをいうと、(そういう事例は滅多にありませんが)人種が異なっていても同一の民族文化を共有し…
近代国民国家のような統一された状態ではもちろんありませんが、多様な事情から移動のなかにあった人々ほど、居住地域のコミュニティに比して高次なレベルの共同体意識を、何らかの形で持っていたようです。それは、交通や流通について、王権や国家などの高…
当然検証すべき重要なことですが、内容や形式・分量の多様さ、告白内容の苛酷さ、収容所への改善要求が(恐らく自粛のバイアスがかかっていたはずであるにもかかわらず)比較的多いことからすると、捏造というには当たらないだろうと評価されています。収容…
沿岸の人びとの場合には、海を交通路として他地域へ逃亡することは、広く行われていたはずです。近代に至るまで、列島沿岸の漁民の世界は、内陸とは異なる広汎なネットワークを持っていました。朝鮮半島との間にも庶民レベルで交流があり、九州や中国地方の…
やはり倭王権の支配地に移住をするわけですから、その管理下に入ることはやむなしとされたと思います。とくに、朝鮮における王朝の興廃のなかではじき出されてきた人々は、一方では故国の再興のために倭王権の援助を必要とし、一方では倭王権のなかで高い政…
それはないでしょう。例えば東国へ開発のために移住させられた人々は、その集団内では母国語で生活していたと思われます。しかし行政との関係や、周辺地域の住民との交渉上、次第にヤマト言葉を使用せざるをえなくなってゆく。長い時間をかけて、日常生活の…
通史的な理解は、常に例外を生み出し、それを排除することで成り立っています。南北朝時代も、どの時代、どの地域、どの階層に注目するかでずいぶん異なる様相がみえてきます。いわゆる士大夫階級に注目すれば、胡族王朝に抑圧されて江南へ移動してきた北人…
現状地域の固定化にのみ腐心するか、躍進を狙って冒険的施策を試みるかで、そのあとの同勢力のポジションがまったく違うものになってくる、ということでしょうね。そうした政治方針に対して領民から不満が生じるか、生じても理解を得ることができるかどうか…
賢人云々は、移民集団のなかから才能のある者、人望のある者を指導者・管理者に抜擢するということで、集団の混乱を鎮め安定を促進させる機能を期待したものです。例えば塢堡のような集団であれば、移動のなかで頭角を現した指導者が帰属後も引き続き統括役…
そうですね、まさに明治の北海道開拓移民などは、徙民政策の一種でしょう。そのほか、近代におけるハワイ、南米、アジアなどへの国策移民も、(強制ではありませんが)徙民政策と考えて差し支えないと思います。移民・植民に関する研究は、現在世界的に盛ん…
ほとんどが正史の記録で、行政文書などを基礎にしつつ、後継の王朝において編纂されたものです。批判的筆致が強くなることはあっても、不用意な誇張は後世の非難を生じますので、ほぼ正確と考えてよいだろうと思われます。
当時の史料を読んでみると、例えば胡族王朝は文人官僚として優秀な漢民族を抱え込み、当初は後者に憧憬をみせつつも、次第に胡族アイデンティティを前面に押し出してゆきます。その際、漢族/胡族の間で種々の軋轢、紛争が起きているのは確かですが、それは…
まず、前近代の国家と、近代の国民国家とは、明確に分けて考える必要があります。確かに、国民国家が構築したナショナル・ヒストリーは、個々の地域に生きた人々の持つ地縁意識、血縁意識を延長したものではありますが、それらとの齟齬も大きく、統一には大…
例えば列島の縄文早期末〜後期には、集落の離散/再統合が繰り返されます。その際に、再統合の際の作業として人骨の再埋葬墓が出現するのですが、これは集落が結集する際、それぞれが所持していた祖先の骨を一緒に埋葬し、統合の象徴としたものと考えられて…
ホモ・モビリタスの説明でもお話ししましたが、そもそもアフリカから人類が世界へ次々と移動していった、そのことがまずすべてを物語っています。クロマニヨン人の出現が3万年前であり、農耕の開始が1万年前前後とすれば、人類はそれまでの2万年の間、移…
考えてみますと、例えば統一秦末期の群雄割拠状態でも、数千数万の武装集団が長距離を移動していますね。移動の過程で複数の村々から物資の提供を受けたり、あるいは掠奪を繰り返すグループなどもあったようです。しかし塢堡のような事例は、あまり無理なこ…
花粉の分子構造は比較的強固で、種によって特徴ある形態をしており、例えば1万年以上前のものでも、いかなる植物種のものか判別可能です。古気温曲線を構築する場合、あるいは周辺の植生を復原する場合には、長く低湿地の状態にある場所を選ぶのが望ましい…
まず、定住することによって得られる安らぎというのは、定住社会によって構築された心性ですので、移動性社会においては意味をなしません。人類が、その誕生から1万年前までの長期にわたって培ってきた移動性社会においては、定住することのほうが危険が大…
うーん、やはり学問的に誤りが判明したとか、倫理的に問題がある場合、即座に対応し是正するのが、研究の理想的なありようであり、教育の理想的なあり方であろうと思います。その言葉の使用によって、誰かが理不尽な抑圧を被るのであれば、なおさら。民主主…
通常の焼畑の場合、ひとつの山を焼畑用に使用すると、30年経たなければ元の状態に再生しません(竹の焼畑の場合は10年ほどで再生しますので、周囲の環境、生態系のあり方によって多少の相違は生じます)。よって、それをひとつのスパンとして、一定の領域の…
天皇の徳化に帰属すること=帰化という言葉を、そのままに使用していることが問題なのです。充分に検討して残したのではなく、古代的価値を再構成した帝国日本の用語を、無批判に踏襲しただけなのですから。現代のハワイやモンゴルの力士たち、日本国籍を取…
そうですね、質問に述べられているような事象は定住社会のほうが被害が大きくなるので、それゆえに定住社会でそれを抑止するための機構が整備された、仕組みが考案されていったということです。なお病気の問題は、移動性社会においても必要な知識・技術は蓄…
自然環境に柔軟に適応するという生物学的能力については、恐らくかなり退化してしまっているのではないかと思います。現在のヒトは、自然環境との間に種々の文化を設定し、それを緩衝領域として定着を図っている。季節の移り変わりに伴う服装の変化をみても…
いわゆるアナーキズムの考えからすれば、そうでしょうね。クラストルもアナーキズム思想を持っていましたし、それを受け継ぐ人類学の流れは、例えば最近大著『負債論』が訳出された、デヴィッド・グレーバーらによって活発に研究されています。歴史学者も、…
もちろん、「抵抗」に当たります。本当に逃げるのならば、信仰を放棄すれば済むのですから。