歴史学特講(17春)

アイヌ解放同盟は道庁爆破を行うなどの新左翼系の組織であると思うが、連合赤軍のような吊し上げの行為に及んでいるならば、機動隊の存在も当然のことであるのではないか。

どこでそういう話を聞いたのかは分かりませんが、1976年の北海道庁爆破事件については東アジア反日武装戦線が犯行声明を出しており、これも明確な証拠がないので分かりませんが、左翼過激派で同戦線とも交流があった大森勝久が逮捕されています。前後の爆破…

北大の事件で、「アイヌを排除した」という講義は具体的にどういうことなのか。区別ではなく排除、というのが気になりました。

「排除」は、「北海道経済史は日本人を主体にした開拓史であり、アイヌの歴史は切り捨てる」という林教授の宣言を意味します。つまりその学問のあり方自体が、アイヌの存在を排除することによって成り立っている。林は、「開発は和人が主体であり、アイヌは…

先住民族の権利に関して、国連から勧告があるにもかかわらず、日本政府が公認しないのは、政府にとってどのようなデメリットがあるからなのでしょうか。

例えば沖縄について、琉球王朝を独立した主権国家として認めてしまうと、それを強制的に併合した帝国日本の責任が問われます。賠償責任なども生じうるので、例えば現在のように沖縄へ日米安保に基づく基地負担を押しつけるなどの理不尽は、まったくできなく…

固有の民族文化を守ろうという現代の人々の上からな「保護意識」も、同じようなものに感じました。

「サバルタンは語ることができない」、すなわち代弁の暴力という意味では、そのとおりです。しかし誤解してほしくないのは、国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は世界の先住民族が主体的に働きかけた結果として採択されたものであり、いわゆる「…

「旧土人保護法」について、アイヌの教育支援を行うことがアイヌ文化の村長になっていないなら、共存は非常に難しいと感じました。昔になればなるほど、なぜ排他的思想が強いのでしょうか。

「旧土人保護法」の同化政策は、アイヌの独自の文化を解体することに主眼があり、そもそも「共存」ではなく「吸収」を目的としていたのです。異なる価値をお互いに尊重し合うのではなく、自分の価値に屈服させようとしたわけです。現代と当時とどちらが排他…

2015年に修訂される前の教科書は、なぜ認可されていたのですか。政府の考え方が変わったということですか。

そうです。2015年に適用された新検定基準には、「政府の統一的見解がある場合は、それに基づいた記述をする」との項目が、新たに付け加えられました。これは、例えばまったく政治思想の異なる政権が誕生した場合、そのイデオロギーに基づいて歴史記述の取捨…

渡来人の問題について、一方で差別し抵抗意識がありながら、一方で受容しあるいは信仰する心理が、正直よく分からなかったです。心のどこかで畏怖の念を抱いていたのでしょうか。

非常に難しい問題ですが、渡来人に限らず、人間は自分の日常的世界を侵犯する未知なるものについて、期待と拒絶という両義的な心理を持ちます。これは共同体の古代祭祀にも反映していて、村落の周縁=境界で行われる祭儀は、来訪神が善なるものであった場合…

国誉めが占有に繋がるということが気になった。なぜそのような論理になるのだろうか?

国誉めは、言葉の力を借りて土地のエネルギーを活性化する行為です。大化前代においてそれが許されたのは、その地域と人格的な繋がりを持つ地域首長であったと考えられています。それゆえに、国誉めは支配の確認であり、例えばその地に名を与えるという地名…

新羅の王子が帰属を求めて日本へ来たというのが本当だとすると、そのメリットは何でしょうか。わざわざ日本に属する理由が思いつきません。

いや、アメノヒボコ伝承自体、やはり、史実として「帰属」を願い出たものと読むことはできないでしょう。『日本書紀』のほうにみえる帰属の経緯を語る具体的な記述は、恐らくは粉飾です。しかし、「弟に王位を譲ってやって来た」という言説形式は、自国で政…

神話には、複数のもので一部内容が酷似しているものがあると思いますが、それはどのようなメリットがあってオマージュしたのでしょうか。それとも偶然でしょうか。

神話は概ね集合的なものですので、作家主体の明確な文学のように、意図的に何かをオマージュして構築される、という見方はできません。国や地域、始祖に関するさまざまな伝承、森羅万象の起源を伝える多様な神話は、それぞれ、世界中にさまざまな形式があり…

ヒボコの神宝のひとつの布(領巾)とは、夫の船出を見守る松浦佐用姫伝説にも登場しますが、昔から波などと関連づけられていたのでしょうか?

必ずしもそうではありません。日本では女性の装飾具で破邪の呪力を秘めたものとされ、古くは『古事記』神代巻におけるオホナムチの根国訪問譚で、スサノヲの試練として蛇の室、呉公・蜂の室で一晩を過ごすことになったオホナムチが、スセリビメの助けを得て…

アメノヒボコは新羅の王子なのですから、朝鮮式の名前もありますよね? その名前から、どうしてアメノヒボコという名になったのでしょうか?

これが本当に新羅に由来する神話なのか、それとも幾つかの半島由来の要素を組み合わせ、日本で作り上げたものなのかは、議論が分かれるところです。後者の場合、「ヒボコの朝鮮名は何か」という問いには、あまり意味がありません。ただし、朝鮮三国も漢字・…

天之日矛の話で、「卑しい女」「卑しい男」が出てきて、男は女から赤い玉を貰っていますが、この赤というのは、太陽を表す意味での赤なのでしょうか。また、「卑しい女」というのは、生み落とされたものの高貴性を妨げることにはならないのでしょうか。

恐らく、太陽の力の象徴とみてよいのでしょう。「卑しい女」「卑しい男」は、一般の男女という意味で構わないだろうと思います。しかし、この筋書は確かに複雑で、なぜアカルヒメの誕生にこの男女を介在させなければならないのかは、よく分かりません。恐ら…

牛が疫病の象徴としても現れることを考えると、水の神と疫病の神が、同じモチーフに委ねられるというのは、水害と疫病が密接に関係しているため、とみることは可能ですか(半島では疫病を牛モチーフでみることはあるのでしょうか)。

その可能性はありますね。一昨年の特講ではそのあたりを詳しくお話ししたのですが、中国南北朝時代には、洪水と疫病流行がセットになった終末観が語られます。そこでの疫神の継承は人間形であって牛ではないのですが、やがて仏教における地獄の獄卒が牛頭・…

北陸出土の新羅の遺物という方形板は、何に使うものなのでしょうか。

冠の装飾ですね。講義で例示した、方形に対角線が入り二葉文を用いる形式は、中国遼寧など東北部から高句麗を介し、新羅へ受け継がれる様式であると考えられています。

厳島神社と市杵嶋姫命は、読みは同じで漢字は大きく異なっていますが、二つに何か関係はあるのでしょうか。

厳島神社も、市杵嶋姫命を祀る神社です。宗像三女神は航海の安全を保障する神格として各地に波及し、平安京内、例えば藤原良房の邸宅にも奉祀されていたことが確認されます。イツクシマ自体は、シマそのものを神格としてイツク=崇め祀ることを意味しますの…

秦河勝が建てた広隆寺が、かつて北区の平野神社の付近にあったのはなぜでしょうか。また、秦氏は仏教興隆に尽くした氏族なのに、彼らの本拠地の太秦周辺に神社ばかりあるのはなぜなのでしょうか。

葛野秦氏は7世紀に至っても前方後円墳を造営していたとのことですが、他にも同時期に前方後円墳を造営していた氏族はあったのでしょうか。

なぜ、大酒神社は「辟」の字を使わなくなってしまったのでしょうか。

恐らく、松尾大社が中世から近世にかけて酒の神としての霊験を強めていったこと、秦氏の伝説的始祖酒公に仮託したことが原因です。治水の機能、水路保護の機能などは広隆寺や大井神社も分有していたため、大酒神社のオリジナリティを強調する必要があったの…

葛野秦氏は、玄界灘の宗教環境を本拠地に再現していたため、北陸から可能性は低いとのことでしたが、このような宗教環境が伝聞によって再構成された可能性はないのでしょうか。 / 葛野秦氏は、なぜそもそも玄界灘の宗教環境を再現したのか。玄界灘に宗教的なアイデンティティーを持っているのでしょうか。

考古学的には、秦氏の渡来と前後して、海人集団の東遷という事態が生じています。北九州地域の海人集団に固有の遺物が、瀬戸内海や淀川周辺の古墳等から発掘され、北九州から畿内諸国へ、海岸部から内陸部へという、同集団の移動があったのではないかと推測…

ハタ・ハダなどの読み方の違いがあるが、それらはどう推測するのか気になった。また、漢字の読みなども、本当に当時の人々はそう読んでいたのだろうか。

漢字を表音文字として用いる部分があれば、中国音韻との関連などから、どのように読んだかは推測かのうです。秦氏の「秦」も現在はハタと訓むのが一般的ですが、波陀との音韻表記があり、蔚珍波旦との関係が強いとすれば、ハダと訓むべきだとの見解も出て来…

秦氏の由来や古韓音の話を聞いて考えたのですが、日本の古代の書物に出て来る人名などの由来を考えるときは、本文に用いられる漢字より、その音の響きを重視して考えた方がよいのでしょうか?

そうですね、まずは音です。奈良時代までの場合、人名表記が異なる漢字で書かれることも少なくありませんので、音に注目したうえで、なぜその字が当てられているのか、あらためて考えてみる必要があります。例えば「蘇我蝦夷」ですが、エミシというのはもと…

ギルガメシュ神話や『古事記』に出てきたように、不老不死に憧れを抱くのは、いつの時代も同じなのでしょうか。

ギルガメシュ神話などでは、これまで怖いもの知らずだったギルガメシュが、親友エンキドゥの死によって生の有限性を痛感する、という流れになっていますね。『史記』始皇帝本紀では、皇帝となって絶大な権力を掌握した秦王政が、神仙思想との出会いを通して…

弓月君が秦氏の祖であることについて検証が必要、との話であったが、王仁と西文氏、阿知使主と東漢氏の関係も同様にそうなのだろうか。

王仁にしても阿知使主についても、伝説的な人物であることに違いはありませんが、それぞれ『日本書紀』に「書首等祖」「倭漢直祖」と明記されていますので、8世紀初めの段階で、氏族/王権の間に一定の共通認識のあったことは確認できます。しかし始祖伝承…

秦氏は当時の氏族のなかで最も大規模であったとあったが、王権内で登用されていた数も同様に多かったのだろうか。

授業でもお話ししましたが、中・下級の官人としての登用は極めて多いですね。とくに根拠地である山城国へ都が遷ってからは、多くの人材を輩出しています。珍しいところでは、陰陽師でよく知られる陰陽寮や雅楽のメッカ宮内省雅楽寮にも、秦氏の出身者がみら…

夷狄の服属儀礼について興味を持ちました。生殖器信仰と、金剛杵・国土観の問題は、やはり関連があるのでしょうか。

コアな質問ですねえ。昨年の特講でも扱った世界樹、柱、リンガ、須弥山は、すべて世界の中心を示す象徴として、同じものであると考えられます。これも普遍的にみられる神話素ですが、世界に秩序をもたらし所有権を標榜する杖、杭、杵なども同じです。列島を…

路子工の隔離について、隔離は海ではなくとも山でもできると思います。海であることに、何か特別な意味があるのでしょうか。 / 路子工の嶋への隔離は、海へ流すと穢れると考えたからですか。 / 海で散骨をする場合がありますが、これもケガレを流す意味があるのでしょうか。

上でも触れましたが、日本の場合、刑罰としての遠流の地は概ね海に面した周縁部へ設定されています。山への隔離は国の内に危険なものを抱え込むことになるので、国家としては積極的には行わなかったのでしょう。海へ流すことは、やはり上に触れましたが、日…

「海中の嶋」への遺棄について。海へ流すという行為が異界へ帰すという意味ならば、人形を自分の身代わりに川へ流したりする風習は、自分の身代わりを異界へ送ることになるのでしょうか。

もちろんそうですね。人形とは形代ですから。より正確には、自分に付着した罪や穢れを人形に代わって背負わせ、これを他界へ送るということになります。人形のほかにも、平城京段階で人面墨書土器、土牛、土馬、絵馬などが類似の機能を持つものとして用いら…

『日本霊異記』の説話で、長屋王の骨はなぜ土左国に置かれたのでしょうか。

古代律令国家では、遠流の対象国が、伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐に設定されていました。いずれも島、半島の端、東北地域との境界に当たる部分で、「辺縁部への追放」ということなのでしょう。しかしそのなかでなぜ土佐が選ばれたのかには、少々特別…

日本人は邪なものを川へ流すとの話がありましたが、中国でも死体を川に流すことはありましたし、インドでもガンジス川へ遺体を流す遺灰を流す風習があります。これらはすべて共通の心理に基づくものなのでしょうか。

時代や地域によってずいぶんと考え方が違いますので、一概にすべてを共通とみなすことはできません。ガンジス川は生命の根源たる神聖な河川であり、それゆえに人々は水の物理的な清濁にかかわらず沐浴を行い、魂の浄化と再生を願って遺体を「送る」わけです…