超域史・隣接学概説III(17春)
耳が痛いというかなんというか。しかし、例えば出版界においては、歴史は人気の衰えを知らぬ分野で、毎年厖大な啓蒙書・専門書が刊行されます。最近では、例えば中公新書の『応仁の乱』が、40万部のベストセラーになっています。その数は、文学研究では比較…
他の学問分野における○○史の研究は、歴史学プロパーによってなされる場合もありますが、同分野の学者が試みる場合も少なくありません。そうした研究は、われわれからみると、どうしても「史料の扱い方」に問題がある、史料をしっかりと読解できていないとみ…
「はみ出すものとしての社会史」という考え方に対して、私はそうは思わなかった。社会史と一言でいえるものは、すべて人々の生活の基層にあるもので、人間を構成する基本となる部分と密接に関わっているためである。
社会史の認識としてはそのとおりですが、「はみ出す」の理解の仕方が少し違っているようです。「はみ出す」とは、既存の枠組みから逸脱する、つまり所与のものとして存在する学問のあり方を相対化し、更新するということです。固定化し形式化してゆく学問の…
分野を超えた学問が協働するときには、お互いにそれぞれの依拠する方法や理論が、ある程度理解されていなければなりません。そうしなければ、研究成果がどのように生み出されたのか検証することができないからです。もちろん、専門性の強い研究ほど多分野に…
過去の姿が鮮明でないということは、それだけみえないものがある、隠されていることがあるということです。それは、例えば歴史学ならばその視角や方法が未熟であり、また時代性や権力などとの関係から無意識的に抑制されている、といったことが考えられます…
プラクティカル・パストは、あくまでも人間の持つ歴史認識や歴史語りのうち、生きるために教訓などとして利用されるもののことです。民俗学は歴史認識ではなく、それらを扱う学問ですから、まったく意味が違います。民俗学は、日本において実証主義歴史学が…
教科書で教えられる歴史は、いわば国家の提供するものですから当然といえば当然ですが、未だに一国史=ナショナル・ヒストリーの枠組みを脱却できていません。社会史に関する記述も以前よりは増えたと思いますが、教えられる分量の点からいっても限界がある…
単に現象だけで、構造主義的には深められていないだろうと思います。ただし、その「虚構」が言語によって構築されたこの社会自体を意味するなら、それは多分に構造主義的な言い回しです。これから授業でお話ししてゆきますが、ソシュールによって始まった構…
『フランスという坩堝:19世紀から20世紀の移民史』を著した、ジェラール・ノワリエルなどが著名ですね。博愛平等の国フランスで、帝国主義・植民地主義がどのように展開し、移民という現象が推移したか。人々は移民を、どのような目線で捉えてきたのか。難…
簡単にいえば、共時態はある一時間を共有する諸要素の関係のあり方に注目するもの、通時態は諸要素の時間的変化を跡づけるものです。一般的には、社会学や人類学は共時態の学問、歴史学は通時態の学問になりますが、これはあくまで「極端」ないい方で、現実…
アナールの全体史は、個別具体性を蔑ろにしないものです。申し合わせがあったわけではありませんが、彼らの主張においては、常にミクロ/マクロの往還が意識されていました。集合性と個人性はともに独自のもので、お互いに相関関係を持ちつつも、個人性は集…
ひとつには、実証主義的研究のほうが早く成果が出やすいこと、もうひとつには、やはり学界において実証主義歴史学の力が強いということが挙げられます。しかし例えば、現在日本の大学制度のモデルになっているアメリカでは、実証主義的な教育方針を採ってい…
それはありえます。アカデミックなポストは非常に限定されていますので、例えば中高の教員をしながら歴史研究をしている方々は大変に多く、学界の最前線に立って発言している研究者もいます。しかし、彼らは大抵専門教育を受けており、場合によっては学位さ…
アクチュアリティとは、直訳すれば「現在性」ということになるでしょうか。その学問が、現代的な問題にどれだけ誠実に向き合い、対応しようとしているかを意味します。先後のマルクス主義歴史学は、戦前・戦中のナショナル・ヒストリー全盛期にあっては無視…
ごめんなさい、縁切寺=駆込寺は、江戸時代にもありますね。相模国鎌倉郡松ヶ岡の東慶寺と、上野国新田郡世良田村の満徳寺。これ以前にも、基本的に尼寺は縁切の機能を持っていたのではないかとの推測もありますが、やがて潰えてゆき、この二寺へと収斂して…
ひとつには、芸能者が生産とは無関係であり、同時に一地域に定住せず移動することが多かったことが原因です。古代にしても中世、近世にしても、領域権力にとって支配しやすい人間とは、農業生産をなし一地域に定住する人々です。彼らを戸籍などに登録して徴…
間引きに関する伝承の類は、たくさん残っています。ちょっといま記憶が定かではないのですが、幼い頃に母親に読み聞かせてもらった松谷みよ子『日本の伝説』の、次のような話を印象深く覚えています。「ある家の老母が、60歳になり、村の掟に従って姥捨て山…
主にものの見方、考え方の流行ですね。とくに歴史学は、理論を自ら生み出さず、常に隣接諸科学から借用している場合が多いので、その流行り廃りにも影響されてしまうわけです。
例えばフランスにおいては、あらゆる学問の基盤に哲学があり、研究者はみなその素養を持って、それぞれの分野の展開に邁進しています。しかし日本の大学制度にはそうした部分が欠如しており、簡単な一般教養のみで専門研究に入って行ってしまう。そのため、…
それまでの伝統的な歴史学が、praxisをなすものとしての個人に注目してきたのに対し、フェーヴルは、社会が個人を生み出す集合性の部分に着目をしたわけです。そうした観点から、伝記研究の刷新を図ろうとしたということです。これは、授業でお話をしたとお…
そのあたりは、まったく問題ないはずです。むしろ家康の神格化は、神道と一体となった仏教により進められました。家康を死後神格化することは、すでに豊臣秀吉が豊国神社に祀られた先例があるように、既定事項だったようです。事実、家康の葬儀を統括したの…
『太平記』にも多少語られていますが、岩松氏の祖先である新田義興は、南北朝の動乱において矢口渡で謀殺され、付近にはその祟りが吹き荒れたため、怨霊を鎮めるために新田神社が創建されたと縁起にあります。この物語は、のちに平賀源内によって肉付けされ…
授業では、「ユダヤ人はマイノリティー的立場で」とはいっておらず、「マージナルな立場にあって」と説明したと思います。マジョリティーのなかにおいてもマージナルな情況は発生しますので、両者は類似はしていても同一ではありません。マルクスは活動家で…
一言でいってしまえば、現在を理解するために参照できる枠組み、思考の道筋を増やすということです。西アジアにおける国際的な紛争、東アジアにおける領土問題などの現実からすれば、歴史が現代的諸問題の解決に資するとは、必ずしもいえません。多くは、政…
以前にもここに書きましたが、現代歴史学のひとつの到達点として、「人間は誰しも主観から逃れられず、それは矮小で偏った視座でしかない。しかしそれゆえにこそ、その人間にしか発見しえない過去の局面がある。狭小な主観しか持ちえない人間がそれぞれ過去…
もちろん構いません。時代、対象についてはまったく自由で結構です。
人間の遺体に対する執着は、時代的な変遷をしつつも長い間持続していて、仏教思想などで原理的に処理できるものではなくなっています。まず縄文時代において、環状集落の中心に骨を集めて共同体結束のよりどころにしたとき、列島文化において、〈祖先〉の概…
シミアンのセニュボスに対する批判は、あくまでセニョボスが「新興の社会科学は歴史学に学ぶべき」としたことへの反論です。当時、デュルケームらを中心とする社会学ほか、地理学や心理学、民族学といった社会科学諸分野が勃興し大きな成果をなし、その端々…
自分たちで派閥を組む場合ももちろんありますが、多くは自然発生的で、ものの見方や方法論、思考様式を同じくするグループを、とくに同じ大学や研究機関、強固な師弟関係から成っている場合、〈学派〉と呼ぶことが多いですね。ちなみに授業でも注意しました…
フェーヴルは、ナチス・ドイツへの敗北後に成立しそれへの迎合的姿勢を強めるヴィシー政権に妥協し、何とか『アナール』を継続させる道を選んだようです。その間、ブロックが処刑され、その教え子アンドレ・ドゥレアージュも処刑、デュルケームの弟子であっ…