2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧
律令国家においては、宮内省の諸陵寮という機関が保護すべき陵墓をリストアップし、人員を配置して管理をしていました。規定を破って領域を侵すものは処罰されましたが、時折、陵墓地域で樹木を伐ったり家畜を放し飼いにしたりすることへの禁令が出ているこ…
古代日本はアニミズム、パンセイズムの宗教情況にあったと思われますので、カミが複数存在するという事態はまったく不思議ではありません。問題はむしろ、人がカミになるという情況がどのように承認されたかが問題です。上記の説を唱える人たちは、どうも前…
授業でもお話ししましたが、前期〜中期はヤマト王権の勢力の発展、後期はそれとともに、巨大古墳の社会的・政治的需要が希薄化することが、主な理由として挙げられるでしょう。弥生後期の地域的特性を引き継いだ多様な墳丘墓が各地に生まれ、そのなかで、全…
やはり、弥生後期の社会の流動化現象のひとつと捉えるべきでしょうね。この時期には、大阪府の池上曽根遺跡など、かつての拠点的な巨大集落が姿を消しています。寒冷化と鉄器の普及に伴う社会変動が、列島内に大きな動揺をもたらしたものでしょう。
荒神谷の埋納自体は、必ずしも青銅器祭祀の廃絶と関連付けなくてもよいようです。とにかく大量の青銅器を埋納することが、共同体の勢力を誇示することに繋がったのでしょう。しかし、出雲ではそれからしばらくして、中期末頃には青銅器祭祀が廃絶します。問…
津城寛文『"霊"の探究―近代スピリチュアリズムと宗教学―』(春秋社)、一柳広孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉―日本近代と心霊学―』(講談社選書メチエ)でしょうか。とくに入門書としては、後者が分かりやすいですね。
もちろん、天文に関わる卜占も存在しました。『周礼』にも、やはり春官の所属で、憑相氏や保章氏という日月星辰の運行を観察し吉凶を判断する役職が記載されています。洛亀が具現化したかのような式盤も、天の運行と地の運行を連動させて占いをする道具です…
上記のような史料のなかには、卜占の結果をめぐって君主と対立し、処罰される事例もみることができます。現代の我々は、どうも卜占について胡散臭いイメージを持ってしまいますが、講義でもお話ししたように、その結果には一族や国家の命運がかかっている場…
次回以降に扱う『春秋左氏伝』や『国語』などの説話的記録のなかに、幾つかのエピソードを見出すことができます。亀卜の結果がある程度の予言性を持ち、それを君主が受容するか拒否するかで、国の命運が大きく左右されたことを伝える物語も存在します。それ…
講義でもお話ししましたが、彼らは雑務をこなす役夫ですから、国家機密に関わるような卜占の現場には顔を出していないと思われます。また、例えば竈に火をおこしたり、必要素材を運搬するために立ち入ったとしても、何が行われているのかは知りえなかったで…
どうなのでしょう。例えばアイヌのイオマンテは、春の狩猟に際して捕獲した子グマを大事に育て、秋の祭礼のときに殺害するという儀礼です。春から秋までの期間は、神霊としてのクマを接待する重要な期間で、この間に人間と子グマの間には擬制的な親子関係が…
講義でも触れたように、亀人は、恐らくはもともと亀の捕獲や生育に関する特殊知識・技能を持ち、貞人たちの配下にあって活動していた集団だったのではないかと創造されます。中国中原の文化は狩猟採集から牧畜へ発展してきた文化ですから、仏教が伝来してい…
これについては分からないことが多いですね。実のところをいうと、『周礼』の記事やそれに関する鄭玄注が、本当に戦国時代や漢代の実態を反映しているのかどうか、立証できる材料はあまりないのです。確かに、何の根拠もなく記事が創作されたり、あるいはそ…
これから扱ってゆきますが、戦国時代の末には一般化が始まって、卜占を専門に請け負う民間の集団が存在したようです。彼らの活躍は、近年の戦国竹簡史料の発掘でようやく分かってきましたが、秦や楚といった国の貴族たちがクライアントになって彼らを雇い、…
講義でも説明しましたが、人間が神の言葉として伝わっているものを、典礼に整理して音律に乗せて述べる、という行為は創唱宗教に多く認められます。キリスト教にも、仏教にも、イスラム教にも確認できることです。しかし冒頭の講義でみたように、神憑りにな…
「意識する」というと非常に広い意味になってしまいますが、確かに何らかの宗教的・神話的根拠は存在しますね。亀卜に関しては、これを裏付けるような古代神話はみつかっていないのですが、講義でも時折顔を出す『史記』亀策列伝のなかに、宋国の元王の故事…
あります。日本では、歴史学の理論・方法論研究自体がなおざりにされる傾向があり、史学史自体も大学者が総括的に行うという「慣習」が存在しますが、近代文化史の領域では若手も積極的に取り組んでいます。近代学問としての歴史学の成立や、民俗学等々との…
宗教の原初形態の説明の仕方には、さまざまなモデルがありうると思います。デュルケームは、『分類の未開形態』のなかで、人間の方位カテゴリーの基準となったのはその方面にいる人間集団であると述べていますが、これは、彼が心理学的個人主義との戦いのな…
現在伝わっているかどうかはちゃんと調査していないのですが、鎌倉には鶴岡の地名もありますし、鶴に関連する伝承が周囲に存在した可能性はありますね。現在の依存地名「鶴」には、地形が鶴の翼を拡げた形に似ているなど諸説ありますが、そうした考え方自体…
私も、穂落神は特定の要素を持っていれば、ツルやサギに限定しなくてもよいだろうと思います。第一、穂落神自体が仮説ですから、そうした見方に束縛されすぎるのも問題です。8〜9世紀の『古語拾遺』という文献に、ホオジロを田における卜占に使ったらしい…
その可能性はもちろんあります。しかし、単なる落書きから芸術作品に至るまでの現代絵画を鳥瞰しても、そこには時代や社会ごとの特徴や規制が必ず表れてきます。同じような意味で、弥生の土器絵画、銅鐸絵画からも、時代・社会の反映を読み取ることが可能な…
ユーラシア大陸には、全般的に、女性が神憑りしてトランス状態のなかで語った言葉を、男性宗教者が日常的な言語に置き直して解説するという宗教文化が存在しました。古代ギリシアのデルポイ神殿でも、神憑りする巫女とその言葉をヘクサメトロンの詩へ綴る神…
講義でもお話ししましたが、弥生時代の青銅器は共同体の所有で、恐らくは稲作に関連して行われたその祭祀は、共同体の祭祀です。弥生の集落には首長の存在が認められ、次第に階級分化が生じていったものと思われますが、あらゆる青銅器を威信財として私有す…
これについては、説得的な回答を見出せないですね。単なる主観的な美しさが要因なのかも知れません。皆さんも想像してみて下さい。
まったく出土していないわけではありませんが、西日本のように、青銅器が共同体全体を象徴するような状態にはなっていなかったようです。しかし関東では、例えば鉄器流通が浸透していた地域では前期古墳がみられず、それまでまったく開発されていなかった原…
象徴的なものへ展開していったとしても、やはり武器は武器ですので、それ自体が何か社会の変化を反映しているわけではありません。上の回答でも書いたように、武器の本質は辟邪性です。それゆえに神聖視され、共同体のシンボルとなっているので、例えば銅矛…
弥生時代の祭祀の具体相については、実はよく分かっていません。考えられるのは、青銅器が神を祀るための道具として必要だったか、もしくは神を勧請する憑代として使用されたということです。武器は、敵を倒し自分を守る道具であるがゆえに、辟邪の象徴とさ…
青銅は純銅よりも硬質ですが、やはりしっかりと製鉄された鉄器の方が丈夫です。講義でもお話ししたように、日本列島には青銅器・鉄器がほぼ同時に将来されますので、美しく耀く前者が祭器、丈夫な後者が実用器へ、自然と区別され使用されたのでしょう。
確かに、文献で判明する古代以降、日本は銅の産出量を伸ばしてゆきます。しかしこの時点においては、お手本として入ってきた中国・朝鮮半島の青銅器に倣ったものと考えられます。中国の青銅器も、発掘されているものはまさに「ブロンズ」色ですが、というこ…