2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
実は、女性の生命を生む力を信仰するということは、必ずしも女性の地位の高さを表すことにはならないのです。その意味で、平塚らいてうの「原始女性は太陽であった」という宣言は、幻想以外の何ものでもありません。世界中の女性/男性の表象をめぐる歴史、…
正直にいいますと、これはよく分かりません。ひとつには、土偶の機能が、携帯する護符のようなものに変わっていった、という解釈も存在します。あとは神観念の問題で、かつて人間をモチーフにしていた神霊が、より高度なものへ発展していったということかも…
授業でもお話ししましたが、『旧約聖書』創世記の蛇を含め、蛇に対する信仰は古くから世界的に存在します。現在まで続く日本の神社信仰でも、飛鳥の大神神社、出雲の出雲大社、諏訪の諏訪大社など、蛇神を祀る神社は少なくありません。中世には、伊勢神宮の…
中国では、いわゆる亀卜が始まる殷帝国より以前の時代から、亀を神聖なものとする信仰がありました。約7000年前の河南省舞陽県賈湖村344号墓からは、小石の詰まった8個の亀甲器がみつかっており、最古の占いの道具ではないかと想定されています。しかし、縄…
縄文文化のなかには、管見の限りみたことがありません。しかし、弥生時代の銅鐸絵画には、トカゲかイモリ、あるいはヤモリを表した図像が残っています。やはりオオサンショウウオと同じ両生類ですが、縄文時代は、単純に生命力を認識しやすい「大きな個体」…
プラスの精霊的存在があれば、マイナスのそれも存在する可能性は否定できません。どの程度のものが考えられていたのか、それを立証する材料はみつかっていませんが、怨霊か祟りかはともかく、人間に災禍をなす超越的存在は想像されていたでしょう。遺体に施…
授業でもお話ししましたが、東北といわず、日本列島中に残っています。神道などは自然信仰から発展を遂げたものですし、仏教も日本のそれの場合には自然信仰の要素が強くなっています。世界遺産に登録された富士山をめぐる信仰などは典型的ですし、日々の習…
上記とも関係しますが、自分の生命が、そうした自然環境によって根拠付けられていることを自覚したからでしょうね。いいかえれば、その「支え」がなければ、自分たちは生きながらえることができない。そこで、「支え」が永久に持続するようにとの信仰を育て…
極めて大きな問題ですねえ。難しいことを単純化していってしまえば、「よりどころがほしいから」でしょうね。その背景には、世界というのは苛酷であり、生命を維持するのは極めて困難である、という認識・自覚があるということだと思います。やはり、自分独…
以前、日本でオウム真理教事件が起きたとき、ポアという概念が問題視されました。すなわち、その生命が将来的に悪業をなすと分かり、その影響で他の多くの生命が災禍を被ると分かっている場合、悪業によって自分自身を苦しめることになるその生命のためにも…
『一遍聖絵』は、現実の風景を推測を交えずに描いていることが多く、あまり象徴的意味は持っていないように思います。例えば釈迦堂前の雑踏の場面では、恐らくは北條氏の関係の武者の乗る白馬が描かれていますが、尻の辺りには「有」の文字がみえます。これ…
これまでの比較研究においては、北魏、南梁を例に取ることが一般的でした。それも、ほぼ政治体制と宗教制度のみを対象にしています。しかし、政治・社会・経済制度を含めて文化と規定した場合、それは明らかに、地域の自然環境との関係において育まれてゆき…
最終的に、完全には克服していません。しかし、面白いところでいえば、例えば初唐に活躍した道宣という僧侶は、その著書『集神州三宝感通録』に、インドの聖王アショカ王が支配地に建立したという阿育王塔が、中国にも存在するという逸話を数多く集めました…
大枠においては同じ、とみてよいでしょう。温暖湿潤なアジアの東部、東南部においては、蛇に対する信仰は非常に盛んで、日本もそのなかに含まれます。研究者のなかには、円錐状の山は蛇がとぐろを巻く姿に譬えられており、山の神は蛇神と把握されることが多…
ある意味では正しいのですが、ある意味では正しくありません。というのは、キリスト教が支配的な地域にも、複合宗教的な現象は存在するからです。例えばヨーロッパでは、近世から近代にかけて、ルルドをはじめとして、聖母の出現する奇跡の泉の物語が生まれ…
含まれます。「廟」とは本来祖霊祭祀の施設ですが、例えば祠廟という概念になると、日本の神社にほぼ等しい意味内容になります。
現在でも、「奇跡を信じる」という心理状態は成立しえます。例えば、あなたがいままで受けてきた教育の枠組みでは、とても理解しえないような事態が出来したとき、まずあなたは、そのことを否定しますか、それとも肯定しますか。現代科学に懐疑的であったり…
中国の西南地域では、現在でも、女系の少数民族が多く存在します。江南から南にかけての地域は女性の地位が高かったようで、仏教も道教もその世界観を反映し、六朝期には女性宗教者の活躍が非常に目立ちます。授業の最後で取り扱うつもりですが、梁の宝唱が…
『南詔図伝』は、あくまで南詔国が、その歴史の最末期に、自らの王権のあり方を正当化し衰亡を食い止めるため、「仏教に祝福された国家イメージ」を創り出そうとしたものです。すべてがフィクションではないでしょうが、史実というわけでもありません。チー…
次回また詳しくお話ししますが、『南詔図伝』の冒頭に出てくる「鉄柱」や、布教の過程に出てくる銅鼓は、在来信仰の痕跡を物語るものです。鉄柱は祖先信仰のシンボル、トーテム・ポールのようなもの。日本でも、古墳時代に祖霊祭祀の立柱が存在したことが分…
すでに南北朝頃から、夷狄とされた人びとが四夷表記・概念を自分のアイデンティティーのなかで捉え返す、というものの見方が始まっていました。仏教との関連でいうと、例えば後趙の3代皇帝石虎が、仏教の信奉を可とするかどうか群臣に諮問した際、中華の皇…
史料がないので具体的なことは分かりませんが、古代日本と同じような情況であったろうと思います。漢人を登用し、彼らから文字も含めて法律、制度を学び、国家体制を整備してゆく。唐王朝とは政治的に決別した時期があったものの、彼らがチベットやインドの…
非常に面白い指摘ですが、現存涅槃図ではそのような意味はないようです。あくまで中国の形式を踏襲しつつ、小さなものは中心へ、大きなものは周縁へといった、デザイン的な意味で配置を決めていたようです。ただし、「シャカから召集がかかったとき、鼠に欺…
賢い動物は、人間の言葉を理解できると捉えられていました。それは、生命の本体が人間と同質であるという意識に基づいています。そのあたりは、精霊の本体を人間と同じ姿にみるアニミズムとも通じていますね。しかし、頭の弱い動物に生まれてしまうと、やは…
仏教の経典には、割合にたくさんの動物たちが出てきます。例えば、『成実論』という書物には、どのような行いでいかなる存在に転生するかを書いた箇所に、「……もし人が善行に混じって不善の業をなすならば、そのために畜生に堕ちる。また煩悩が激しく盛んな…
餓鬼は飢えの世界で、何かを食べたいという渇望が横溢し、しかしそれを癒すことができない。一般には、痩せ衰えて腹だけが膨らんだ幽鬼のような「餓鬼」イメージが定着していますが、満たされない飢えの世界、飽くなき欲望の世界だということができるでしょ…
個別に対応します。その際には連絡を。
授業では、そうしたことではなく、あくまで環境の利用の仕方、生活の仕方に由来することと説明しました。しかし実際に災害への知識が伝承されていたとすれば、それは神話など口承の語りによってでしょう。土偶や環状祭場の遺跡を通じて、縄文時代にもシャー…
縄文期の地層で津波による攪乱が起きた場合、人間の痕跡がどのように破壊されたのかは、何らかの形で残ります。もちろん、津波によって流された生活痕跡も皆無ではなかったと思いますが、そうしたものが今のところ確認されていないのです。また、海岸線に接…
堅果類を煮沸したり、あく抜きしたりして食べることによってデンプンを消化可能にし、氷河期に狩猟で得ていた栄養価を補うことができたとありましたが、縄文の人々は、どのようにしてそのことを知ったのでしょうか。
現在の栄養学的なレベルにおける知識は、もちろん所有していないでしょう。現在からみると、あたかも縄文時代の人々が、何もかも知っていたように土器を用い、煮沸やあく抜きで堅果類を摂取していたようにみえますが、現実には、そうした試みを重ねてきた集…