全学共通日本史(16秋)

日本では、幕府が新たに設立されたときや代が替わるときに、将軍が天皇に拝謁しにゆく慣習があったと思います。それは幕府の権力に、どのような力添えを望んでいたのでしょうか?

日本の幕府制度のそもそもの起源は、中国六朝時代の府官制にあります。その頃の倭では、いわゆる倭の五王が、劉宋に朝貢して将軍職を獲得しようとしていました。北朝胡族王朝との戦闘、国内での内乱が相次いだ劉宋では、開府儀同三司の権限を認められた将軍…

ハーメルンの笛吹き男の話で、背景に植民の問題があるとのことでしたが、これと似た日本の伝承にも、何か歴史的出来事との関連があるものはないのでしょうか?

日本にあるよく似た伝承というと、やはり人さらい、神隠しに関するものでしょうか。アジアでは、山人によって女性が掠われて子供を産まされる、という系統の話が広汎に残っていますね。例えば、4世紀の中国江南で編纂された志怪小説『捜神記』には、玃猨と…

国家が最良の社会形態かどうかという問いは、納得をもって受け容れられましたし、考えるところがありました。しかし、古代と近代の国家では、少し性格を異にするため、同様に論じることができるのかという疑問があります。

そのとおりですね。ちなみに、マルクスやエンゲルス以降の社会科学的国家論は、いわゆる古代社会からどのようにして国家が誕生し、その性質を変えながら近代の国民国家に辿り着くかを史的に論じています。クラストルが射程に入れたのは国家の始原への批判で…

現在、文化人類学を受講しているのですが、人間のモラルや考え方などの内容が、こちらの講義ともかぶっています。今日、その関連している学問(社会学、人類学、心理学など)は、アナール学派によって作られてきたのだと知りました。

ちょっと誤解があるかもしれません。上にも書きましたが、アナールは、19世紀末〜20世紀初頭のヨーロッパで繰り広げられた新たな学問の勃興、とくに社会学、民族学、精神分析学などの活動に大きな影響を受けて誕生しました。その逆ではありません。とくにデ…

冬休み中の史跡見学で、どこかおすすめの場所はありますか?

そうですね、年末までに、おすすめスポットを紹介する時間を設けましょうか。ちょっと考えておきます。

東アジア世界論に興味を持ちました。中国が中心となり、文化が広がる背景には、朝貢形式が関係しているのでしょうか?

もちろんそうですね。次回から扱う古代の単元でも言及しますが、必ずしも冊封体制のなかに入らずとも、朝貢を通じて中国的文物が周辺に行き渡り、政治・社会・文化の活動もそれを基盤になされるようになる。東アジアの枠組みは、良くも悪くもそのようにして…

民衆個々に寄り添う歴史というのは初めて聞いたのですが、面白い考え方だと思います。これは現在の歴史観にどのような影響を与えているのですか? / 知識人がその傲慢さから一般の人々、あるいは対立する人々を嘲笑し、思想を押しつけるような運動のあり方は、例えばそれが左派のものであったとしたら、極右のすることと何ら変わりはないと思う。こういった傲慢な態度に陥らないような運動は可能だろうか。

ぼくが現在参加している、宗教学者、民俗学者、社会学者らとの共同研究に、日本における「パブリック・ヒストリー」の構築を目指すものがあります。これは、歴史実践を専門的研究者の独占から解放し、異なる価値観を持つもの、異なる政治的ポジションにある…

国民的歴史学運動の展開について、マルクス主義の考え方から、どう個々の主体のあり方に沿った歴史の形成へ、という視点が出てくるのでしょうか。

マルクス主義は、歴史の主体を支配層よりも民衆、農民や労働者に置いたのです。現状の資本主義的イデオロギー情況を打破するためにも、民衆の覚醒が第一であり、その主体形成に寄り添わねばならない。そうした発想から、個々の生業に基づく国民的歴史学運動…

歴史学が、ナショナル・ヒストリー形成の役割から抜けだし独立?するのは、歴史学にとってメリットのあることなのですか?

学問としては、いかなるものにも抑圧されずに真理を追究できる環境が理想的なわけですから、望ましい情況といえます。むしろ、戦後歴史学以降、歴史学関連の諸学会は概ねそうした意向です。

世界史の発展原則に関心を持ちました。近代資本主義の次は社会主義、そのあとは何が来るのでしょう。今後の世の中がどうなってゆくのか、予測を立てる方法があれば知りたいと思いました。

現在はむしろ、そうした「資本主義のオルタナティヴ」が構想できない状態が問題なのです。ネオ・リベラリズムが世界を席巻して種々の弊害をまき散らし、社会的格差の増大と集団の分断が加速するなか、資本主義の限界が誰の目にも明らかでも、それに変わりう…

世界に純粋な資本主義国がないなら、純粋は社会主義国はどうでしょうか?

ありませんねえ、つまりまだ実現されていないわけです。1989年以降、雪崩を打って崩壊した旧ソ連、東欧諸国も、社会主義の理想を掲げながら充分実現できず、むしろその計画経済性に端を発する専制権力の強大化、共産党一党独裁の情況に陥り、マルクスらが目…

世界が規則的に発展してゆくとのことであったが、例えば古代奴隷制は、日本ではどの段階に当てはまるのだろうか。

つまり、そうしたことを議論してゆくのが、時代区分論争であったわけです。極端にいうと、班田農民を奴隷と捉えれば古代となり、農奴と捉えれば中世ということになります。

私はマルクス主義に賛成ではないのですが、1950〜60年代の国民にとって、それはどのように市民権を得ていったのでしょうか。

やはり大きな魅力のひとつは、これまで国家が喧伝してきたものの虚偽性が露わになり、抑圧されてきたものを解放するベクトルがみえたことでしょう。一般の人々が自らの生活を改善してゆくために結社を作ることも認められ、各地で労働組合の形成も進みました…

マルクス主義歴史学の人々は、日本で実際に革命を起こそうとは思わなかったのでしょうか?

もちろん、戦前に思想弾圧の対象になったのは、マルクス主義者がコミンテルンの指導によって革命を起こし、現状の体制を打破しようとする意志を持っていたからです。戦後の学生運動においても、すべてがすべてそうした思想に一元化できるかどうかは別として…

さまざまな学問の根幹にマルクス主義が関わったのは、非共産主義国では希有なこととの説明があった。もしそうなら、なぜ日本ではそのようなことになったのだろうか。日本の社会がマルクス主義に適合的だったのだろうか。

歴史的・地域的にさまざまな差異、多様性があることを考慮しなければなりませんので、不正確な発言になりますが、列島の社会には、個人の突出を抑え集団の利益を優先する傾向が強いところがあると思われます。ゆえに、ヨーロッパ的な意味での〈近代的個〉の…

マルクス主義とは少し違うかも知れませんが、私は経済構造がイデオロギーを形成するという考えを持っています。例えば、第一次大戦後のドイツはインフレで経済破綻をしていた、そのなかでヒトラーの過激な思想に救いを求めたと思うのですが、これはマルクス主義的な見方でしょうか?

マルクス主義的にその情況をみるならば、ヒトラーを待望したのはむしろその経済破綻に打撃を受けた資本家層、富裕層であり、一般民衆は彼らの欲望を満たすべく扇動されたということになるでしょうね。ヒトラーが演説に用いた、人の感情に訴えるさまざまな言…

私は一般常識程度にしか歴史を学んでいないから、歴史は規則的、歴史は繰り返すようには考えられない。今から民主化が薄れ、独裁者が政治を行うように変わるとは考えられない。また戦争が起こるなんて、今は考えられない。でもだからこそ、歴史を学ぶマルクス主義者が「歴史は繰り返される」と考えて、これからの世に警告を発しているのかもしれないと思った。

重要な考え方ですが、マルクス主義は、「歴史は繰り返す」とは必ずしも考えません。あくまで、一定の法則に沿って歴史が展開する、ゆえにその法則自体は、それぞれの時代で同じ論理が繰り返されるとするだけです。しかし、例えば重要なのはやはりイデオロギ…

キャロル・グラックは、「後期近代」についての定義で、帝国主義や全体主義、全面戦争を経済成長を阻むものであるとしていますが、特需などを考えると反例になるでしょうか?

グラックの発想としては、帝国主義や全体主義の闘争の結果として全面戦争に至る、この点が問題です。特需というのは、自国が平和状態に置かれ、経済的関係においてのみ戦争に参加している状態で生じる事象でしょう。全面戦争に至ったならば、特需も何も、人…

「終戦」の語について、第二次世界大戦の惨禍を繰り返さないために、戦争の終わりを印象付けようと「終戦」としているとは、考えられないでしょうか。

まず、皆さんのリアクションをみていて、「終戦」という言葉の選ばれたこと、そうして現在でも使用されていることが、何か特定の支配集団なり何なりの思惑に沿う洗脳、操作のように感じてしまった印象がありました。確かに、8・15=終戦記念日の設定には、巧…

日本はかつて多様な宗教を信仰していたと思うのですが、いまなぜ無神論となってしまっているのでしょうか。

現在の日本社会は、必ずしも無宗教ではありません。それは、キリスト教的な宗教観でみた場合「宗教的」とはいえないだけで、実際はかなり宗教的なのです。例えば、正月。多くの人々が神社や寺院に初詣に出かけ、1年の無病息災などさまざまなことを祈願しま…

私たちが現在知っている神様の名前の多くが、近代に作られたことを知って驚いた。私たちは知らない間に国に操られていたのだと感じた。 / 日本には数え切れないくらい神社があると思うのですが。地方の神社もそのようになっているのでしょうか?

まず誤解のないようにいっておきますが、必ずしも「近代に創られた」神名を名乗っていたわけはありません。多くは、国家が国体の聖典とした『古事記』『日本書紀』に登場する、古典的な神名に改められたということです。中世や近世の神々をめぐる信仰の変化…

授業のなかで、今は歴史の根拠がアジア的共同体にある、といったようなことを仰っていましたが、具体的にどういうものか想像がつきにくかったです。

正確な文脈では、近代的個が確立していないアジア的共同体では、個と神との葛藤をめぐるランケ的な実証主義が、深いところでは受容されなかったという話だったと思います。アジア的共同体は、個よりも共同体の集合性が強く、またその共同体の意志が、首長に…

あなたは現代で、国家にとって不都合な事実を教えることができなくなると思っているようだが、大学の講義で好きなだけそれらに触れることができ、ネットで閲覧することができ、図書館で見ることができる。日本では杞憂に思える。 / 久米邦武筆禍事件のようなことは、現在でも起きているのでしょうか。また、当時は、表現の自由を保障するものはなかったのでしょうか。

まず、この世界は大学へ行くことのできるひと、ネットで自由に情報を検索できる人、図書館に自由に出入りして書物を閲覧できる人だけによって構成されているわけではありません。そうした環境にない人は大勢いますし、そうした環境にあっても利用しない人も…

純粋史学と応用史学の分離の問題について、もし生徒たちが大人になって、事実を知ったらどうなるのでしょうか。また、実証主義史学は依拠する史料を史書や古記録などとし、江戸期以前の物語や稗史を否定したとありますが、例えば物語は伝統文化として意味があったはず。否定することに問題はなかったのですか?

戦前・戦中においては、応用史学の知識で教育された人々が、純粋史学の研究成果に触れることは、機会としては多くなかったはずです。大部分の人々は、「皇民教育」を受けてその内容を信じ、国家主義的な思想や行動原理を持つに至ってゆくのです。また物語の…

明治大正期に、北海道大学等がアイヌの墓を暴いて強引に研究資料を集めていたとの記事を読んだことがありますが、史料編纂国史校正局などの史料収集も、強引に民間の史料を徴集したりしていたのでしょうか。

一般の人々を相手に恫喝的に史料を収集することは、建国間もない明治政府の正当性を動揺させますので、一応はきちんとした手続きを踏み、買取や借用などが行われたはずです。しかし文化的には混乱期でもあり、とくに廃仏毀釈が吹き荒れた情況においては、古…

歴史をそのままに受け取り、個人の意見や人為的な教訓を加えようとしない、これは理想的な理念だと思いますが、もし第一次史料の時点ですでに私見が入っており、同じ件について他に史料がないときなどは、どう対処したらよいのでしょう。

さまざまなレベルでの比較という方法があります。例えば、古代において、Aという人物がある事件に際して取った行動を検証するとします。それについて書いた記録はひとつしかなく、同一記事については比較対象がない。しかし、例えばAが所属している氏族の…

実証主義歴史学が主流となった現代では、教訓を重視する歴史の現在主義は非アカデミズムの世界でも存続しているとのことですが、例えば第二次世界大戦などから得た教訓は、今の学問では対象にならないということでしょうか。

現在の歴史学者のほとんどは、研究の実践と、個人としての政治的立場の表明は別々だと考えています。ですから研究自体においては、教訓的眼線を差し挟むことはしませんが(つまり、「この事実は現在における教訓となるだろう」といった結論の学術論文はほぼ…

江戸時代に誕生した国学には、皇国史観と共通する考えが多いと思います。したがって、ある時期においては、国学から皇国史観への流れこそが本流であり、実証主義歴史学が例外的なものであった情況が存在したと思うのですが?

そうだと思います。西洋史の方法論に依拠した実証史学は、まさに特殊です。皇国史観の方が、前近代の考え方に近い部分があった。もちろん国家の強制は大きいですが、それでも社会の需要にある程度応える側面を持っていたからこそ、強く浸透していったのだと…

近代歴史学のディシプリンがスタートしたとき、ドイツ実証主義に基づく西洋史部門がまず発足し、それに対置される形で国史も発足したという理由がよく分かりません。西洋を手本にするなら、西洋史だけでよいのではないでしょうか。 / 国史学科の設置はリースの申請によるとのことですが、この頃はまだナショナル・ヒストリーへの志向はなかったのでしょうか?

史学科の設置は、やはり最終的にはナショナル・ヒストリーを構築するための学問的根拠であり、その担い手となる研究者を養成するための機関でもあった。それゆえ、国史学科が設置されてゆくのは当然といえます。リースの申請に至るまでは、すでに民間で福沢…

江戸期民間の人々が信じた物語や伝承の類は、信憑性としてはどの程度あるのでしょうか?

伝承研究という学問の立場からすれば、そこに語られている内容が客観的な事実かどうかは、さほど大きな問題ではありません。どのような形で語られているか、当時、誰によって何がどういう形で信じられていたのか、なぜそう考えられていたのかが重要です。伝…