日本史概説 I(08春)

縄文時代の環状集落では、中心の墓地への埋葬はどのように行われたのですか。 / 貝塚とは違うのでしょうか? / 環状集落の中心では、何か祭祀的なことが行われていたのでしょうか?

中心核に当たる部分に、集合前の小規模集落の保持していた遺骨が集積(再葬)され、そこから放射状に新しい遺体が埋葬されてゆきます。各住居はそれを取り巻くように配置されるわけで、ちょうど遺骨がかすがいとなって住居同士を結び付ける構図になっている…

プリントの「ギリシア・キラダ湾の花粉ダイアグラム」とプラトンの部分、授業で扱っていないのではないでしょうか?

…! そうでしたか。くだらない話をしていて飛ばしてしまいましたか。来週ちょっと付け加えますが、大まかな流れはイースター島やメソポタミアと同じなので、みてもらえば分かるでしょう。ただこちらの方は、付近のミュケーネ文明が金属精錬に伴う大規模伐採…

メソポタミアの塩害の話がよく分かりませんでした。なぜ地下水に塩分が多量に含まれるのでしょう。また、塩害は今は防げているのでしょうか。

地下水には多かれ少なかれ塩分が含まれるもので、灌漑による塩分の蓄積は、乾燥地帯ならばどこでも警戒しなければならない問題です。エジプトでもその危険は常にあったわけですが、灌漑時の地下水位の低さと洪水による土壌洗浄が、地表への塩分の蓄積を防い…

ガープ・バレイの花粉分析のグラフでオリーブの花粉量に変動があるのは、何らかの戦争が断片的に続いていたためでしょうか。

確かに都市間の抗争などでオリーブ栽培に影響が生じる場合もあったでしょうが、その上下変動は、他の植生との比較においても突出しているわけではありません。オリーブ栽培自体の技術が充分発展しておらず、収穫が不安定であったともいえるかも知れません。

本当にヨーロッパに大河はなかったんでしょうか。

もちろん、ライン川やドナウ川といった河川があり、流域には鉄器文化も存在したようです。聖なるオークなどの樹木崇拝を核とするドルイド教に基づき、広大で深い森林に定着したガリアやゲルマニアの文化は、しかしローマの度重なる遠征を受けて次第に疲弊し…

ギルガメシュの話題に出てきた、「神の一覧表」って何ですか。

祭祀を執行するためにまとめたと考えられる、神々の帳簿です。古代文明は多くの神々に対し毎日のように祭祀を行っていますので、こうした祭祀執行表ともいうべき史料は珍しくありません。

ギルガメシュ叙事詩を粘土板に書いた人ってどんな人だろう。

あまり詳しくはないのですが、やはり史官=神官であろうと考えられます。古代においては、洋の東西を問わず、歴史(往々にして神話とイコールでもある)を掌る存在は祭祀や卜占を担う存在でもあるのです。例えば、東アジアの歴史叙述は中国古代の殷王朝にお…

ギルガメシュ神話の史料を読むと、エンキドゥとギルガメシュの関係が気になります。野人の方が立場が上に感じられるのですが? / ギルガメシュが、森の王を殺しにゆくときに野人エンキドゥを同行するのは、どういう意味があるのでしょう。文明が自然を味方に付けて、より大きな自然と敵対するみたいな感じなのでしょうか。

エンキドゥは命令しているというより、ギルガメシュを励ましているのですね。物語的には、ギルガメシュはエンキドゥを心の支えにしている部分があるようで、彼が神々の怒りを得て死んでしまうと、ギルガメシュは不死への志向を強固にしてゆきます。同等の力…

ギルガメシュの神殺しを聞いていて、『もののけ姫』を思い出しました。西洋人と日本人によっての神殺しの概念は、相互に異なるのでしょうか?

次回には日本の事例も紹介しますが、実は、物語の枠組みとしては大きな相違がないのです。極めてよく似た話が、洋の東西に残っていることもあります。例えば、ヤマタノヲロチ退治だって神殺しですから、日本神話の描写もそれなりに残酷です。ヲロチは酒に酔…

神話と史実は関係があるのですか?

神話も歴史的な存在である以上、過去の時代・社会情況とまったく切断していることはありません。古代の人々が世界や宇宙をどのように認識していたか、また社会をどのような規範や秩序で成り立たせようとしていたか、何を畏怖し何を大事に思っていたか、そう…

イースター島の人たちは、森林を伐採してまでモアイ像を建てることが馬鹿げているとは思わなかったのでしょうか。

イースター島の人々が、神への贈与や蕩尽を続行することこそ、自らの生活の繁栄をもたらすと考えていたとしたらどうでしょう。いかなる犠牲を払っても像を建立し続けることが、彼らにとっては、幸福と安定へ続く唯一の道だったのかも知れません。これほど社…

デュルケム『宗教生活の原初形態』によれば、宗教の源泉は社会である。儀礼や崇拝を通し自分たちの社会的ネットワークを強化する役割を持つ。私は神の意志だったり幽霊のような非科学的なものはまったく信じていないため、どうしても斜に構えてしまうのだが、神という存在は人間が語り継いできた過程で構成されたもので、人間の都合の良いものになりさがってしまうように思う。しかしなぜ人はそれを信仰するかといえば、その中身が何であるか誰も知らないこと、語ることでしか現れないからこそ価値があると考えるからだと思う。

デュルケムは心理学的個人主義との戦いのなかで、集団の学としての社会学を構築しようとしてきたので、上記のような議論になります(彼の活躍した時代情況を考えなければなりません)。私もデュルケムは好きで、論文を書いたこともありますが、現在の人類学…

私は「縁」とは偶然ではなく必然であると思いました。原因があり、その中で働いている間接条件は、結果を出すためのものであると思います。

仏教では、普通の人間では原因を原因と認識することも、結果を結果を認識することもできないと考えますし、ある原因から何らかの結果を導き出すのは自分の力ではできないと説きます。例えば、浄土真宗を開いた親鸞は弟子に、「お前は、人を殺せば極楽往生が…

仏教・本覚思想の部分が少し理解しきれませんでした。つまり現実を真理でないと否定しながらも、その一つ一つに真理及び仏がいるということなのでしょうか。

仏教も他の宗教と同様に、本来的には現実世界を「虚仮」と捉え、仏法のみ真理であると説きます。しかし、インドから西域を経て中国に伝わるうちに、宇宙のあらゆる事象を仏の顕現とする発想が生まれ、それが日本において現実=真理の本覚論となるのです。同…

「自然の事物や現象に人格的霊魂を認める」というアニミズムより派生した神道から、天皇という存在が崇める対象として生まれたはずなのですが、なぜ自然崇拝から現人神という発想が生じたのでしょう。

古代の神祇信仰ももちろん自然を崇拝する神道的な性質を持っていましたが(正確には、古代の段階では「神道」とは呼ばないのです)、そうした神格をより高位の神格に従属させ自然を支配しようという傾向も備えていました。森羅万象を平等に信仰するアニミズ…

シャーマンの行う儀式も、自然と人間のある種の一体感を自覚するものと捉えられるのでしょうか。

そうですね。シャーマニズムは、やはりアニミズム的世界観と密接な関わりを持った宗教形態です。シャーマンは動物霊や植物霊と交感し、これらを使役したり、自分の霊魂を飛ばして精霊の世界へ往来することができると考えられています。精霊というレベルにお…

農業を採用したのは人間にとってよい方向だった。より多くの人間が豊かに生きていけるのを可能にした。その中で環境と折り合っていくのか、その方法を探ることが大事である。人間の文明、文化はもはやはずせないと思う。 / 農業は罰ということもできる、という発想は新鮮ながら充分に理解できるものでした。蓄えが可能になったから争いが始まったという理屈も、ある意味罪と罰の形に還元されるのでしょう。ただそれは、詰めていくとその方向に進化した人間そのものを罪とするようで少し怖いです。

現実的には、現在の人類が狩猟採集社会へ復帰することなど不可能でしょう。我々としては、現在の水準をある程度維持しつつ、これ以上環境を悪化させない方法を模索するしかありません(その結果、地球が緩やかに滅びの道を歩んでゆくとしても、です)。しか…

(2) 環境史の課題で出てきた、「日本になぜ欧米に匹敵する生態学的危機がもたらされたのか」という問いの答えがよく分かりませんでした。

結局、日本でも欧米と同じような感覚で環境破壊を行っていたということです。しかも、日本の場合には自然環境に対する依存の度合い(甘えといってもよい)が高かったため、自然に対する責任といった主体的態度が醸成されにくく、歯止めのきかない惨状を招い…

IPCCによる温暖化の報告のところで、海面上昇すると水不足になるとありましたが、温暖化すると逆に降水量は増えるのでは?

温暖化により乾燥化が進む地域も多くあります。たとえば南米アマゾンの熱帯雨林では、2070年頃までにサハラに匹敵する規模の砂漠が出現すると考えられていますし、氷河や山地の氷雪の融解水を利用している地域など、北半球の大半は干ばつに襲われることにな…

マルクス主義歴史学と、マルクス主義社会経済史は違うものですか?

マルクス主義歴史学の、社会経済史分野ということで理解してください。そもそもマルクスの思想は社会学・経済学の古典とされているので、歴史学においてはかかる分野で受容が進んだわけです。とくに歴史学では、マルクスの盟友エンゲルスとそれらの思想を政…

同時代の海外の国々の自然に対する考え方はどうだったのでしょうか。

同時代、とはいつのことを指すのでしょうか。20世紀とすれば、これまで講義でお話ししてきた情況とさほど変わりありません。あくまで、世界のなかで日本はどうだったか、という観点で話をしています。ただし、環境問題に対する意識の向上や実際の対応は、ヨ…

社会のなかで人間の文化や思想が変化するのは明白なので、心性史のような考え方が今までまったくなかったとは考えられないのですが、近年盛り上がっているのには何か理由があるのですか?

心性史の成立と展開については(とくに環境文化研究との関わりに於いて)、以前「〈環境と心性の文化史〉へ向けて」(増尾・工藤・北條編『環境と心性の文化史』上、勉誠出版、2003年)で詳しく触れたことがありますので、場合によってはそちらを参照してく…

都内にも「茅場町」という地名がありますが、そこも昔は茅場だったのでしょうか?

本来の茅場ではなかったようですね。江戸城の拡張工事に際して、それに用いる茅材を供給した専門の商家を集住させた場所である、というのが通説であるようです。

最後の映像の山にあった「大」は、大文字焼きの「大」なのですか。

そうですよ。如意ヶ岳の五山送り火の「大」ですね。これがはっきり現れているとなると、『再撰花洛名所図絵』の「東山全図」は、初夏から盛夏にかけての風景ということになるかも分かりませんね。

日本の伝統がいいか悪いかなんて、その人が何を大切に思っているかで変わってきてしまうと思う。はげ山が間違っているものともいえない。人間の必要のためであったなら、私たちが先代の人間を否定できないと思った。

それはそうですね。歴史学は過去を断罪するためのものではなく、事実を確認して問題点を浮き彫りにし、未来へと繋げてゆくための学問です。この講義でも、「過去の人々は悪かった」という結論ではなく、私たち自身のありようを反省し、将来へ役立てる糧と考…

多くの日本人が里山を伝統的な景観と誤解してしまったのには、どのような原因が考えられるでしょう。

ひとつには自然の回復力によって開発の痕跡がすぐに癒えてしまうため、日本人の歴史意識が極めて脆弱になったこと。もうひとつは、おそらくは第二次世界大戦の影響でしょう。戦時供出によって多くの山がはげ山になっていたため、戦後、国の政策もあって積極…

実際、まったく人の手が介在していない大自然の光景は、もっと野性的で感動より畏怖を感じさせるものだった。「きれい」や「愛着が持てる」〈自然〉というものは、やはり50〜60年前の光景、人が懐かしさを持つのにうってつけの光景なのだなと再認識した。それでも里山の風景は、地方の愛すべき風景であったりもする。

そうですね。なぜそうした新しい景観にぼくらが懐かしさや愛着を感じるのか。そうした心性はここ40年ほどの間に作られたものなのか、もしくは逆に親しみやすい景観を意図的に作ってきたのか、そのあたりが問題です。

当たり前だと思っていた自然豊かな風景が昔にはなく、むしろはげ山といった荒んだ風景であったというのにすごく驚きました。よく時代劇で森の中の決闘というのがあるけれど、あんな情景はなかったのでしょうか。山に身をかくすことはできませんね。

少し薬が効きすぎたかも知れませんが、日本の山々がすべてはげ山だったわけではありません。あくまで農村や都市の周辺ということですね。人里離れた奥山などには、とうぜん、楠や檜、櫪、楢、ブナなどの大木が生えていました。スクリーンに移した正保年間の…