2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
国家の形成は、突出した首長によって統括される社会を前提に誕生します。つまり、共同体が否定されて特定の人物、あるいは親族へ権力が集中していった結果なのです。共同体の信仰形態は多くアニミズムであり、自然環境そのものを(縄文が死と再生の循環を信…
10年程度前までは、例えば神庭荒神谷など、出雲における平型銅剣・銅鐸の大量埋納は、どれだけ質の高い青銅器をどれだけ大量に埋納できるかという、首長の権威を示すための蕩尽・競争儀礼だったのではないかと説明していました。しかし近年では、授業で扱っ…
渦巻き文ですね。世界的に共通する文様で、一般的に生命のエネルギーを象徴するものといわれています。
授業でもお話ししたと思いますが、祭具の特徴が変わってゆくことと、祭祀の形式が変わってゆくことを、同時にみてゆく必要があります。楽器としての機能が主要であった頃の銅鐸には、文様があまり存在しません。逆に楽器としての機能を喪失した銅鐸には、種…
はい、もちろんそのとおりですね。その点、確かに検証が必要です。しかし、輝くものが重視されたかどうかを、検証するのは難しい。古代においては、輝くもの自体が少ないからです。しかし、太陽が信仰されたのは、世界的にかなり普遍性のある事実でしょう。…
銅と錫の原料自体は、半島からの輸入に頼っていたと考えられますが、混合の比率は微妙に異なり、列島では銅の分量がやや多かったようです(錫が多いと、錆びたときに黒っぽくなります)。出土している鋳型などによれば、砂岩などの軟らかい石材を用いて鋳型…
鳥装の人物を女性シャーマンとみるにしても、それが女性信仰と一体であるとは必ずしもいえません。そもそも、女性を信仰していた様子が、弥生時代の社会・文化からは、痕跡としてあまり出てこない。縄文時代に比べ、土偶(大地母神?)に類する形での女性性…
授業でもお話ししましたが、例えば良好な環境下で稲作の収穫量が伸び、集落の人口も増大したとします。しかし、寒冷化によって稲の収量が落ち込み、増加した人口を維持できなくなってしまった。そうしたときに集落が解体しより小規模なものに分離したり、あ…
徐福という人物が東海に船出したのは事実かも知れませんが、彼が日本へ到着したという記述は『史記』にはなく、10世紀に至ってようやく現れるもので、列島各地の伝説もそれ以降に生じたものと考えられます。そもそも、徐福が日本列島を目指した、日本に到着…
いえ、どちらが良い/悪いということではなく、同じことです。ある問題について仮説を立てるとき、無から仮説を立てることは学問においてはありえず、何らかのデータが参照されます。文献史学の場合は主に史料、考古学の場合は出土資料(遺跡・遺物など)に…
そうですね。『もののけ姫』は室町時代が舞台なので、中世に至る神話・説話・伝承に登場する神的な動物たちを、総動員している印象です。縄文時代のところでも回答を載せましたが、古代の神話では、イノシシは人間に対して対立的な役回りで登場し、シカは反…
重要な質問ですね。例えば狩猟関係の送り儀礼は、現在に至るまで列島のなかで維持されていますし、古墳時代の古墳祭祀は、やはり再生の意味合いを強く持つものです。弥生時代の東日本地域では、遺骨を土偶のような容器に収めて埋納する葬法も発見されており…
検証しうる材料はとことん動員して仮説が提示されてゆきます。例えば、授業でもお話しした銅鐸の長頸・長脚鳥の種の同定が典型的です。この議論は、大林太良氏の穂落神神話(穀物起源を穂落神=鳥の飛来によって説明するもの)に関する研究を援用し、春成秀…
残念ながら、鹿角そのものを使った呪術なり、祭儀なりの遺構・遺物は発見されていません。しかし、鹿角は中国大陸から西域にかけて、再生の象徴として多くの図像を残しています。日本でもその生え替わりが、稲作のサイクルと重複視されたことは間違いありま…
「害獣」という考え方自体が、ヒト至上主義に立ったいいかたになっているわけです。例えば現在でも多くの狩猟採集民は、人間をも襲いうる肉食獣を「害獣」とは捉えず、ともに自然環境にあって食物を獲得するため、競合している存在と考えます。遊牧をなすモ…
春成秀爾さんの説ですね。抜歯は縄文晩期の西日本で最も発達しますが、その形式は大別して、犬歯を上下とも抜くもの、上の犬歯と下の切歯を抜く二通りがありました。春成説では、抜歯が成人の儀式と婚姻の儀式において行われたとみて、ほぼ全員が成人儀礼で…
朝鮮との、ということではありませんが、中国や朝鮮で培われてきた、戦争を前提とする集落のあり方、社会のあり方が、ダイレクトに伝わっていたのが北九州地域だということでしょう。そうした集落が幾つもあったとすれば、互いに紛争になる可能性も高い。環…
大きな枠組みでいえば、それもありえます。弥生早・前期は寒冷な時期ですから、とくに東日本地域について、稲作の浸透が滞った原因のひとつに推定されます。半島的な吉野ヶ里の社会・文化と、縄文的な池上曽根の社会・文化の相違は、もともとは縄文期の地域…
都市の定義の問題です。日本の歴史学界を長く規定してきた唯物史観においては、都市とは社会的分業と階級分化の結果として生じてくるもので、多様な産業に従事する人口が集中し(農業においては多く外部依存)、周辺の諸集落に対し社会・経済、場合によって…
畔を突き固め水を張った水田遺構と、のちにそのうえに堆積していった地層とでは、土壌の性質や化学組成が異なります。発掘作業によってその境界を見極め、堆積地層を丁寧に除去して、写真のような水田遺構を検出しているのです。
誤解があるようですが、授業で紹介した森林の伐採は耕地を開くためのもので、農具を作るためではありません。開発のために切られた樹木が、農耕具や灌漑施設を作る木材に転用された、ということです。
注意しておきますが、授業で何度もお話ししているように、現在、灌漑稲作は急激に列島中に伝播したのではなく、数100年というそれなりに長い時間をかけて、次第に普及をしていったことが分かっています。そのうえでですが、一般には、日本列島の土壌は、火山…
確かにそのとおりですね。私が以前に研究していた中国西南少数民族のヤオ族は、一時期漢民族に従属して水稲耕作をしていましたが、反乱によってその待遇から解放されると、稲作を放棄して山中へ戻り、もともとの焼畑農耕の生活へ復帰してゆきます。1970年代…
鉄製農耕具が一定量流通し普及したのは、やはり北九州地域であったようです。弥生時代における列島の鍛冶技術は未だ成熟してはいなかったので、その利用にはやはり限界があったと考えられます。瀬戸内海沿岸から近畿にかけての地域は、北九州と比べて著しく…
授業でもお話ししたように、縄文の段階から、北方や南方より、多くの人びとが海を渡って断続的に列島に入ってきています。時期を選び、対馬・壱岐・沖ノ島などを伝って移動してくれば、丸木船のようなものでも半島との間を往復できるのです。また、玄界灘沿…
できます。人間の細胞には、核とミトコンドリアにDNAが含まれており、前者には約60億、後者には約16500の塩基配列が存在します。古代の遺骨など長期の経年変化にさらされたものは、配列が壊れてしまっている場合も多いようですが、ミトコンドリアの場合には…
いや、それは考えられません。授業でもお話ししているとおり、縄文社会のものの考え方と朝鮮から入って来た弥生社会のものの考え方は、まったく違います。それゆえに長期にわたり、首長を突出させる社会的変化、戦争を前提とした環濠集落のあり方が、玄界灘…
遺跡から出土した遺物の放射性炭素同位体測定によって、早期と前期の年代が著しく遡及し、弥生時代の前半が長期間化したかっこうです。そのことによって、かつては100年余りの間に起きたと考えられていたことが、実際は数100年かかっていることがみえてきた…
2015年に出版された山川出版社『詳説日本史B』では、縄文時代の最後に、コラムとして年代観の変更に言及されています。しかしそれほど詳しく書かれているわけではなく、またその変更によって全体の記述が書き直されているわけでもありません。授業でもお話…
日本列島の火葬例として最古のものは、7世紀近畿の須恵器登窯からみつかっている、恐らくは渡来人のものですね。東アジアでも、火葬は仏教徒以外には忌避されてきたので(とくに儒教文化圏においては、父祖から受け継いだ身体を損壊するとみなされたので)…