全学共通日本史(17秋)
授業でお話ししたように、やはりドイツ流の実証主義歴史学を輸入したためです。マルクス主義歴史観において、天皇制の存在する日本は近世絶対主義だとみなされ、近代化を図るためにはまず資本主義革命を経過しなければならないとの議論もありました。そうし…
各藩は、それぞれ、近世前の在地の歴史的文脈を踏襲しているからでしょうね。日本列島の文化のあり方は、東/西でも大きく違いますし、そのなかでの地域性も非常に強い。現在でも、江戸期の藩の境界線を挟んで、隣接する地域の習俗が大きく異なる場合もあり…
西ヨーロッパでは、ソ連の誕生以降、共産主義・社会主義にもさまざまな派閥が発生してゆきました。社会民主主義などはその典型で、議会制民主主義などを採り入れた穏健な社会主義として広く浸透し、二大政党制の一党を担う状態になっています。オセアニアも…
なきにしもあらず、ですが、まずあなたの「聞いたり読んだりした」ことが、「右に偏っている」ことも注意しなくてはなりません。左や右が何を意味するのかも慎重に見極めねばなりませんが、そもそもジャーナリズムは権力を監視するのが役割ですから、そうし…
マルクスが生きた時代は、未だ社会主義国家は存在しません(正確には、その後も実現していません)。よって、マルクスにとって社会主義は理想の体制であって、問題点云々の埒外にある概念です。しかしその後の研究は、当然、「社会主義を実現しようとした体…
確かに、矛盾もありますね。マルクス主義内部での位置づけとしては、民衆の自由な歴史叙述活動は、まさに「イデオロギーに自覚的になり社会を変革してゆく」実践の一環と位置づけられたわけです。すなわち、皇国史観を捨てて科学的歴史学を学び、民衆の歴史…
上にも書きましたが、資本主義の破綻は、誰の目にも明らかです。現在の課題は、社会主義に関する研究、政治的実験が失敗に終わったことで、資本主義のオルタナティヴが準備されていないことです。社会主義は未だ実現されていませんし、社会主義思想を再検討…
主眼は、富の再分配にあります。あらゆることが平等、つまり相違のない世界にする、というわけではありません。例えば、数年前に日本でもベストセラーになったトマ・ピケティは、資本主義は格差の拡大によって早晩破綻するとし、それを抑止するためには、国…
それはありえます。マルクスはそのことも指摘しているのですが、図式的な説明では、どうしても下部構造規定説を強調し、こちらをより根底的なものと捉えているわけですね。政治/経済の相互構築は、現実的には認められ、例えば経済制度を構築してゆくのは政…
一般的には、人間が自由に経済を作るとみられているかもしれませんが、学問の世界では、そうは考えられていません。とくに社会科学においては、人間は社会によって規定された存在と捉えるのが普通です。昨今では、グローバリズムに便乗して利益追求を図るモ…
戦時中における抑圧に対する反動が、最も分かりやすい説明でしょう。重要なことは学問の世界、学者の世界に止まらず、「下からの発展」を目指したマルスク主義的な見方が、社会に広汎に共有されていたということです。権利を再獲得した労働組合も盛んに活動…
もちろん、自覚を持って掲げていました。みな、マルクス主義であることを標榜していました(しかし社会主義の実現をどう目指してゆくかについては、レーニン主義、毛沢東主義、無政府主義など、細かな相違は存在しました)。60年代の歴史の概説書などをみる…
そうです。現在目前にある資本主義の成り立ち、問題点・課題を浮き彫りにするために歴史を分析した結果が、唯物史観という歴史観を創り出しました。マルクス主義の現在認識は、この唯物史観を基礎に成り立っています。
公正平等にみるためには、何を基準とするかより、まず自分の主観を徹底的に検証することが大切でしょう。自分はなぜこの史料を、いま考えているように読もうとしているのか。自分が下した判断、結論には、政治的なバイアスが作用しているかどうかなど、常に…
「本当の…」という形容詞を付けると、あたかも日本人たる本質そのものがあるかのように誤解してしまいますが、そもそも「日本人」という括りで表現できるものが何なのかを考えるべきでしょう。それは日本国の国籍を持った国民なのか、それとも日本民族なのか…
やはり近代日本においては、天皇が現人神として、強固に位置づけられてゆくからでしょうね。前回お話しした国体の生成過程と対応しつつ、天皇を不可侵で真正な神聖な存在と位置づける議論が展開してゆきます。ナショナル・ヒストリーの編纂を期待された重野…
厳密にいうとどうであったか分かりませんが、およその傾向としては少なかった、もしくはなかっただろうと思います。実証主義の価値観に沿って政治に迎合しなかったからこそ、純正史学/応用史学の区別が成り立ち、後者が一種の言い訳の場、逃げ場になってい…
「天皇は朝鮮からやって来た」という説は、いまのわれわれが知ることのできない学説ではありません。例えば、江上波夫の唱えた騎馬民族征服王朝説は、「3〜4世紀に大陸から騎馬民族が九州に渡来して崇神王朝を樹立し、5世紀初めに近畿へ移動して応神王朝…
何度かお話ししているように、真正な意味での客観的な記述は実現することができません。また、これも何度もお話ししているように、歴史は物語りであり過去そのものではありません。叙述・記述である限り、あらゆる史料もまた客観的なものではなく、主観的で…
すなわち真の客観性など実現できず、どれほど徹底しても、せいぜい集合的主観性の範囲を出ないためです。人間の把握している世界=環世界は、言葉と身体によって創出されますが、家族>その他の中間的集合>地域>国家などの共通枠を重層的に持ちつつ、同時…
もちろんそうです。現代歴史学の最前線では、例えば実証主義歴史学によって生み出された過去をhistorical past、前近代の多様な歴史実践に基づく過去をpractical pastと呼んで区別し、かつて「非科学的」と斥けられた後者の豊かさに注目しています。現在の価…
近代日本の筆禍事件をみてみますと、たいていは社会が過敏に反応して特定の人物の集中攻撃を始め、それを追認する形で国家権力による処分が行われる形が多いようです。実証主義史学は、それまで一般的であった歴史観を攻撃的に排除したため、そのしっぺ返し…
「作った」というのはいいすぎで、正確には、その淵源をなす議論を行った、ということです。福澤諭吉の議論は、明治の廃娼論争に関係して世に出ました。福澤は、近世的娼婦を人間以下の生業と批判しつつも、大陸へ進出してゆく日本人男性のために、日本人女…
持ちうるでしょう。そもそも、生まれた国によって決定される国籍を絶対視するのは、血縁主義の日本だからともいえます。国籍とは本来制度であり、変更可能なものですが、日本の場合、国籍を得る要件として「父もしくは母が日本人であること」があるため、ア…
サンフランシスコ講和条約に参加することで賠償請求を放棄した国々は、要するに冷戦体制下でのアメリカの意向に従ったということです。それを「責任」というのは、例えば当該国の国民ならば国家に対して問責できるでしょうが、道義的にいって、日本の側から…
大丈夫です、1回目はガイダンスですので、得点に数えません。
士農工商が身分を表すという教科書的記述は、現在では否定されていますね。これはもともとの中国の言葉と同じく、基本的生業を列ね、総合的に「人民」を指示しているに過ぎません。よって、日本では武士を表す「士」のみが支配階級として突出しており、あと…
主観性を重視するということは、客観性を放棄するということではありません(もちろん事実を思われるものを探究するわけですから、先入観や思い込みでものごとを進めていては、学問でさえないことになります)。近代科学が客観主義を重視するあまり、主観性…
上にも書きましたが、現代はナショナル・ヒストリーのみが正しい歴史としてまかり通る時代ではありません。いかに学校でナショナル・ヒストリーを教えようが、一般社会ではそれ以外の歴史(ポストモダン的なもの、また前近代的伝統を引き継ぐもの)がまかり…
そういう平和教育は、これまで日本のどこでも実施されてはいないでしょう。平和教育とは、それぞれの国々が世界のなかで自国の歴史をしっかりと正視し、共通の理解を目指す努力を放棄せず、手を結び合う可能性を模索し続けることだと思います。よって、対話…