2015-01-01から1年間の記事一覧
もちろん構いません。お任せします。
戦前・戦中の皇国史観について、パラダイム論でみることはできません。なぜなら、昭和20年代頃までの認識と現在の認識とでは、パラダイム・シフトが起きるほどの変化はなく、むしろ連続性の方が大きいからです。皇国史観自体も、現時点で種々の形で残存して…
初回の授業でもある程度お話ししましたが、現在、中高の教員の置かれている情況は苛酷です。授業のほかに、部活指導を含む煩瑣な校務があり、残業に次ぐ残業、帰宅してからも仕事の続きで、なかなか休む暇もないと思います。そのうえ、主体的に授業の取り組…
歴史学者がふつう「古代」というと、考古でいう縄文・弥生は指さないことが多いのです。しかし、縄文から歴史時代までは1万年という開きがありますので、死や喪葬に対するものの考え方も変わってきます。死と再生のサイクルを信仰していた縄文の人々にとっ…
そうはいっていません。レジュメもよく確認していただきたいのですが、私の考えではなく、あくまで石母田正の思想です。石母田はマルクス主義者ですので、彼の考え方としては、貴族文化はあくまで民衆の収奪によって成り立っている表面的な文化に過ぎず、煌…
『詳説日本史B』の方でも、遣唐使廃止が国風文化を作ったとは書いていません。論旨の順番から、そのような誤解を生みやすくなってしまっているだけです。教科書としては、だんだんと学界の認識に近い内容に変わってきてはいます。ただし、解説本である『詳…
これまでにも事例を挙げてお話をしてきましたが、愛国心を持つことは「当たり前のこと」ではありません。それは、国民国家という一時的な統治システムが、自己を維持するために国民を訓育してゆこうとする過程で作られてゆくものに過ぎません。前近代にあっ…
右寄りというより、やはり国家が国民を生産するための装置ですので、その同一性を相対化するような要素はできるだけ排除したい、という意識はあるのでしょう。また、ガイダンスのときにもお話ししたように、現政権は戦後政治のなかでも卓越して国権を強化す…
ある意味ではそうだと思います。東歌など、音韻に当時の東国の方言が反映されていますから、その在地性、史料的価値は極めて高いものです。しかし、古代王権の芸能に対するものの見方を勘案すると、ちょっと事情は違ってきます。すなわち、『万葉集』の編纂…
例えば『蜻蛉日記』『源氏物語』などのなかに、中央貴族たちの宇治における別荘で、周囲の山川で生活する「山がつ」と呼ばれる人々が、別荘に奉仕して周辺の産物を届けたり、自然物や生業に関する情報を提供したりするシーンがみられます。また、中世後期の…
日本だけ、ということはありません。例えば中国では、古代から連綿と中華思想が機能しています。これは、中国王朝の持つ文化こそが世界の中心に位置する重要なもので、文化を持たない周辺の蛮族へも普及させ、これを訓育してゆかなければならないとの考え方…
例えば王朝文化全盛期の平安貴族たちが信じていたのは、世俗的な栄達が往生の形式にも直結するという発想です。すなわち、生前絢爛たる寺院建築を建造したり、寺院や僧侶に寄進し仏教の保護に努めた人間は、死後もよりよい形での成仏ができる。例えば、良源…
これも、その意味をハッキリ定義して用いないと誤解を招きますね。皆さんのコメントにあったように、中国や朝鮮の影響を受けていないという意味なら、国風文化を列島「独自」の文化とするのは間違いです。しかし、それらと交渉しつつオリジナルとは異なる形…
王朝国家体制と軌を一にしているとはいわれています。すなわち、ちょうど菅原道真による寛平の改革以降、例えば税制についても、これまで人民に課していた税を土地に課すという大転換をなし、種々の制度が大きく変革されてゆきます。その結果として王権や有…
内閣府の特別機関として日本学術会議があり、その第一部が人文科学で、科学の発達と社会への還元の問題について議論を重ね、内閣府へ答申を出すことも行っています。日本史の関連でいえば、これまで中高の歴史教育の思考型への転換、教科書の件についても答…
私の専攻する環境文化史の観点からいえば、人間の営みのすべてが文化です。まったく社会に一般化していないような、個人が孤立して持つものも文化です。文化は、個、家族や村落、地域、国家といった大小の集団などによって、それぞれ特徴(ある程度の共通性…
そうですね。しかし、人間が他の生命の保全の方法を考えてしまうということ自体、すでにコントロールであり支配なのだという自覚が必要です。すなわち、私たちの踏み込んでいる領域は、もう「帝国」からは逃れられず、自分もその一員なのだということ。利益…
社会や文化のあり方、辿ってきた歴史のあり方によって多少の相違はありますが、概ね地球上のあらゆる民族はエスノセントリズム(自民族中心主義)を持っています。それは、自分たちを中心にして世界を把握しようとするからで、自/他のカテゴライズの成立と…
「生物種」のカテゴライズ自体が曖昧な点もありますので、オオカミ/イヌの区別は、DNAレベルでどこまで成り立つのか未だ議論もあります。すなわち、かつてあったジャッカルやコヨーテを却け、オオカミがイヌの祖先として確定されて以降は、イヌもオオカミの…
今回の講義でも話をしましたが、近世〜近代にかけて、寒冷期の東北が稲作の実験場のようになっていったことと関係があるのだと思います。近世には、新田が開発されてゆく一方で、稲作依存の弊害から飢饉も繰り返し生じ、一方で農作物や食の多様化が目指され…
前にもお話ししたかもしれませんが、一作物に特化したような農耕文化、食文化は、あらゆる点で脆弱ですし、生物多様性の観点とも大きく食い違います。主食を規定せず、地域地域の環境に即した多様な生業、それに根ざした食文化を構築してゆくのがベストと思…
前回お話ししたハニ族の神話のように、アニミズムのなかには、農耕に特化した信仰の形、神話や祭祀も存在したと考えられます。あとあとお話ししてゆきますが、日本にもそうした形式は存在していました。そもそも神社の歴史的原型に当たるような祭祀遺跡は、…
必ずしも、すべてが逆ベクトルではありません。大山千枚田も、水源は山上にあって、流れのままにそれを使用しているはずです。ただし、雲南の棚田と比較して明確に異なるのが、雲南の方は生活拠点が山上にあり、棚田はその下部へ位置づけられているのに対し…
『古事記』のオホゲツヒメ/スサノヲの神話、『日本書紀』のウケモチ/ツクヨミの話は、ご指摘の通り〈殺された女神〉の神話です。ハイヌヴェレ神話から採り入れられたというより、列島のなかで機能していた、栽培植物起源神話、ひいては穀物起源神話の一バ…
そうでしょうね。中国のハイ・ソサエティーの人々が日本の無痛文明を志向するというのは、予想される事態ではあるでしょうが、恐ろしいことです。広大で環境も異なる中国が日本のようになることはありえず、社会や文化の格差、それに規定された認識・心性に…
三尸説ですね。授業でお話しした六斎日は、まさにこの三尸説と密接に絡みあいながら、中国の六朝時代に整備されてくるのです。いわば、道教と仏教との交渉の結果、仏教の東アジア化した姿ともいえます。日本ではこれが、庚申信仰という民俗となって、近代ま…
生命の循環という発想が基本にありますので、キリスト教などの自殺とは少し意味が違ってきます。菩薩行としての捨身は、生きとし生ける者のために行う救済の行動ですので、自殺とはみなされません。例えば講義でも紹介した、飢えた虎に自分の身体を与えると…
仏教は、今日お話ししたところを根源的な枠組みとして、宗派ごとにかなり細かな相違があります。最も異質なのは浄土教系統、かもしれません。日本でいちばん大きな教団は、この系統の浄土真宗ですが、衆生はすべて阿弥陀如来によって救済されており、現生の…
仏教では、子供/大人の区別を大きくは行いません。よって、子供も大人と同じように扱われます。現在、一般社会に至るまで不殺生戒を遵守しようとしているのは、一時期「国民総幸福量」で話題になったブータンですが、極めて道徳的・倫理的な子供が育ってい…
列島に住む人々は、おしなべて歴史認識が希薄です。重要な出来事も、ちょっとした弾みで忘却してしまう。その意味では、もともと「だめだった」のだということもできるでしょう。