日常の生活空間とは隔絶したところに死者の世界が置かれた、ということは、縄文時代とは、墓の位置も含めてずいぶん考え方が変わってきたようです。

そうですね。古墳時代は、一般庶民の死者もしくは死後の世界に対する考え方は、実はよく分かっていません。日本列島は土壌が酸性のため、骨などが長い期間に融解されてしまい、庶民の墓を見出すことがほとんどできないからです。遺棄されていたか、それとも…

国や地域を越えた神話の研究を、大学の4年間の学びで行うのは、範囲が広すぎて大変でしょうか?

古代神話の研究は面白く、また一般にも関心が高いところだと思います。しかし、これを扱うのはなかなかに厄介です。とくに比較神話ということになると、複数の言語に精通する必要が出てきます。例えば、あくまで評論レベルでギリシャ神話・日本神話の比較を…

前回のリアクションで、埋甕に描かれた絵は「女性を戒めたもの」と誤解されてしまいましたが、男女に関係なく、「同じことを繰り返さないよう、過ちのないよう注意する」という意味で描いたとは解釈できませんか?

うーん、いいたいことは分かります。まずあの絵画ですが、これもずいぶんと想像の余地があるわけですが、女性の身体、とくに生殖器の部分と地面とを繋ぐような影が描かれているものです。状態としては、嬰児の骨が納められ、住居の入口部分に埋められていま…

古墳時代のアニミズムは、日本での多神教の発展となにか関係があるのでしょうか?

通説的にはそうなりますね。しかしもう少し考えたいのは、アニミズムにも各時代ごとに相違があり、情況が異なるということです。「多神教」という言葉でよく引き合いに出されるのは「八百万の神」であり、一般には森羅万象に宿った神霊などともいわれます。…

埋甕の絵は、母の胎内に戻るより、むしろ流産のようにみえます。無事に埋めなかったことを戒めているのではないか、という学説はありますか?

「子供を産めなかったことを、女性に戒める」という発想は、極めて家父長制的なものの考え方です。男性優位であり、女性を、それこそ生む機械としかみていません。縄文時代には、当然家父長制的家族など存在しませんし、例えば、男性=強力・厳格・権威的、…

中等教育における歴史の授業は、歴史学といえるのでしょうか。

歴史学を、近代に成立したひとつの学問的制度と理解するなら、中等教育での歴史科目は歴史学ではありません。歴史学の成果のうち、通説的な部分を教養として学び、理解・記憶しているに過ぎません。ただし、記憶や理解の過程においてもろもろの思考がなされ…

日本の戦争責任に関する賠償問題については、過去の人の責任を未来の人が取らねばならないのは、何となく理不尽ではないかと思ってしまう。

気持ちとしては分かります。しかし、授業でもお話ししたように、われわれの現在の生活が、帝国日本の対外侵略と植民地経営、それに伴って利益を得てきたもろもろの企業の活動に基づくとすれば、われわれにも責任は厳然とあるのです。オーストラリアの日本研…

確かに、アイヌや琉球の文化を無理に日本の文化と同一視する必要はないと思います。しかし、北海道も沖縄も現在は「日本」であり、彼らの権利をその他の県の人びとと分けて考える必要があるのでしょうか。

気持ちは分かりますが、そのあたりの判断は、アイヌの人びと、沖縄の人びとが、彼ら自身で行うべきことですね。究極的には、国民国家日本への帰属/独立の決断も含めてです。なぜならいうまでもなく、近世から近代へかけての日本が、彼らを暴力的に帰属させ…

「山越阿弥陀図」のような図像は、現在では「ありがたい」よりも「何だか怖い。不気味だ」と思われることのほうが多い気がします。いつからそのようなイメージに変わったのでしょうか。

ひとつには、主観の問題ですね。多くの仏教徒、とくに日本の浄土宗や浄土真宗の門信徒であれば、「不気味だ」といわれることに憤慨し、「ありがたい」存在と考えるでしょう。しかしもうひとつ、大きな情況としては、近代以降に宗教の価値が排斥されてきたこ…

死者が神になりこの世を見守る目的として、古墳を造ったと聞いたことがあります。どうなのでしょうか?

それはかなり通俗的な説明ですねえ。確かに、古墳に埋葬されているのはカミなのか、それともヒトなのかという議論は、未だに古墳時代関連の重要な論点のひとつです。前者の場合、古墳を祀る現首長=被葬者の後継は、古墳祭祀をカミを生み出すもの、あるいは…

現代人が死から遠離っているのは、なぜだと思いますか。

いろいろな説明の仕方が可能ですが、ひとつには、無痛文明のためです。この概念は、倫理学者の森岡正博さんのものですが、現代文明のある特徴を捉えたタームです。すなわち現代文明は、人間が可能な限り不快な思い、痛みや苦しみを感じないように作用する。…

以前に京都の化野念仏寺へ行ったとき、同地では風葬が行われていたと聞きました。風葬は、「遺体から大気に生命エネルギーが移って雨となり、地上に戻って作物に還元される」というイメージを抱くのですが、実際にはどうかんがえられていたのですか。

インドの古い輪廻説(五火説)では、火葬で煙化した主体は、祖霊界の主=月へ昇る。のち雨を介して地上へ降り、作物の種子から父=男性へ取り込まれ、性交渉を経て母=女性の胎内へ宿り、種々の生物種へ再生すると考えられていました。このあたりは、直接観…

仏教が日本へ伝来した際、神道を布教、または信仰していた人びとは、仏教を怖れることはなかったのでしょうか。神道が廃れてしまう可能性は充分にあったと思います。(書きかけ)

別のところでも少し書きましたが、『日本書紀』の崇仏論争記事には、神祇信仰を奉じる物部氏、中臣氏が、仏教の国家的奉祀に反対したと書かれています。しかしこれは漢籍の引き写しで、日本が中国王朝と同じ歴史を辿り、廃仏の復興から仏教文化の反映に至っ…

日本では、記紀神話がまったく活かされていないと仰っていましたが、建国神話と地域神話・民俗神話を同一に語れるのでしょうか。

まず、『古事記』や『日本書紀』を一読すれば分かると思いますが、これらはすべて建国神話として書かれているわけではありません。以前に別の質問に回答しましたが、これらは国家レベルの神話として再構成されたものではありますが、例えば『古事記』のほう…

赤色は魔除けの機能を持っていたそうですが、古墳石室内への施朱以外にはどんな例がありますか。神社の鳥居が朱色なのも、関係がありますか。

そのとおり。神社の鳥居、寺院の欄干、地蔵の前掛けなどなど、歴史・考古・民俗のなかに、さまざまな事例を見出すことができますね。講義でも少し触れましたが、赤色顔料の成分は、酸化鉄系のベンガラ(いわゆる朱。弁柄。インドのベンガル地方の原産なので…

植物に対する神話は、あまりないのだろうか。 / 星との異類婚姻譚はないのか。人間には近しいはずだろう。

授業でも少し触れましたが、植物関係の異類婚姻譚は数多く残っています(ぼくの専門のひとつなので、データベース的なものも作成しています)。列島文化でよくしられているのは、「三十三間堂棟木の由来」という、浄瑠璃化されて広く知られるようになった物…

心理学者のピアジェは、アニミズムを幼児の心理的特徴と捉え、これは年齢を重ねるに従って、消えてゆくと指摘していました。心理学では発達の特徴を表す用語・概念が、史学では神話・文化を示していることが興味深いです。

そうですね、重要な指摘をありがとうございます。実は、指摘してくださった2つは、別々の概念ではないんですよ。原始的宗教状態としてのアニミズムは、イギリスの文化人類学者タイラーが、『原始文化』(1871年)のなかで概念化したものです。これは、宗教…

講義で伺った狩猟採集民の神話が動物や自然をもとに形成されたものが多いのに対し、古代ギリシアやローマなどの神様は人間の姿をしていることが多いと思います。これは、それぞれの生活の仕方やアニミズムに由来するものなのでしょうか。

必ずしも、古代ギリシャや古代ローマの神話に、アニミズム要素が欠落しているわけではありません。セウスをはじめとするオリュンポスの神々は、概ね何らかの自然現象、環境要素を反映していますし、鳥や獣へも自由にトランス・スピーシーズすることが可能で…

神話という言葉を聞くと、昔に作られたというイメージを持ちます。いったい人びとは、いつから神話を、現代のようにあまり信じなくなったのでしょうか。科学が発達したからでしょうか。 / 多くの神話は紀元前に生まれたものだと思うが、神話は未成熟な社会でのみ作られるのか。

神話とは、簡単に定義すれば起源の物語です。現在われわれの目前にあるさまざまな事象の起源を、「なぜそれがそのようなのか、いつからそのようなのか」を、太古に遡る何らかの物語で説明するものです。しかし、このような神話は、普通一般に考えるように古…

先生はなぜアナーキストなんでしょうか? これまでアナーキズムを信じる人と会ったことがないので、気になりました。

初回か2回目の授業ですでにお話ししたのではないかと思いますが、歴史学者や、社会科学系の研究者にとって、現行の国民国家はひとつの過渡的システムに過ぎません。それがどのように成立してきたのか、その機能にはいかなる利点と、同時にいかなる問題、課…

平安時代において、天皇が大極殿に出御し公卿と政治を行う状態から、天皇が日常的に起居する内裏へ公卿らが出向く状態となり、政治のミウチ化が進む一因となったと学んだ。しかしそもそも、なぜ最初は天皇から出向く形になっていたのだろうか?

飛鳥時代の氏族制政治においては、大王の経営する宮へ、国政を分担する畿内豪族のトップである大夫たちが集い、合議を行うのが通常の形式でした。やがて、中国の宮殿の形式を採り入れつつ、宮が政務の場所として拡充されてゆくと、宮の構造自体が変化し、ま…

財政が破綻しつつある時期、税収を増やす方法を考えるとともに、倹約令のようなものは出なかったのでしょうか。

倹約令が効果を持つのは、商業と流通が発達し、消費社会が一定の広がりを持ってからだと思います。奈良時代にも、商業・流通に根差す消費行動はありましたが、それは都市を中心とする、限定された領域と階層に止まっていました。そのため、「過差」すなわち…

天皇の中国皇帝化とありましたが、現人神であると考えられていた時代に、ある意味本国の神が他国に傾倒していると思われることはなかったのでしょうか(「西洋では異端を排斥しましたが、日本でも仏教を信仰せず、あまり一般的ではない宗教を信仰すると、同じような扱いを受けたのでは?」への回答も、ここに含むものとします)。

『日本書紀』欽明天皇13年(552)10月条から始まる仏教公伝、崇仏論争の記事には、神祇信仰を奉じる物部氏や中臣氏が、「我が国家の天下に王たるは、恒に天地社稷の百八十神を以て、春夏秋冬に祭り拝することを事と為す。方に今、改めて蕃神を拝さば、恐るら…

藤原頼通の代で天皇との間に子供が生まれなかったことで、藤原氏の時代が終わりを迎えるのは、もっとどうにかできなかったのかと考えてしまう。そこまでの権力が、すでになかったのでろうか。

確かに、頼通以降摂関家の全盛時代は終わりを迎えますが、藤原氏の時代が終わったわけではありません。院政期も摂政・関白は藤原北家嫡流が継承してゆきますし、鎌倉以降はそれが五摂家に分派、近衛・九條・一條・二條・鷹司の各家から必ず太政大臣、摂政・…

平安の日記は文学というイメージが強かったが、最初の頃に書かれていた日記は、のちの子孫が参考資料として読めるようにしたもの、と聞いて驚いた。

平安時代に書かれた日記には、男性日記と女性日記があります。後者の方がいわゆる女流文学で、『蜻蛉日記』『紫式部日記』『更級日記』など。こちらは日記といっても、日次記のように毎日書き継いでいったというよりは、メモ的なものをもとにある時期に再構…

東大寺は、中国でいう石窟寺院を採り入れたという認識で正しいでしょうか。 / 東大寺が、平城京の内部ではなく外京にあるのは、何か意味があるのでしょうか。

石窟寺院、ではありませんね。龍門石窟をモデルとしたのは、あくまで盧舎那大仏の造立についてです。紫香楽で始まった盧舎那仏の造立は、方法こそ石刻/鋳造と異なりますが、都との位置関係、内包する思想など多くの点で、龍門の奉先寺を先蹤としているよう…

現代の一般市民の感覚からすると、天皇家や藤原氏の激しい政争には違和感を覚えます。争いに勝つことで、人生を賭けるほどの利益が得られるのでしょうか。

何を求めてどのように生きるかは、時代によっても社会によっても、そしてどの階層に属するのか、どんな職業を持っているのか、究極的には個々においても異なりますね。古代の貴族層においては、氏族、もしくは家を存続させること、儒教的な考え方に沿ってい…

江戸時代や明治時代にあった「日本らしさ」への回帰が求めたものは、「日本らしさ」ではないのだろうか。それらが作られたものならば、何が「日本らしさ」といえるのだろうか。

大変によい質問です。「日本らしさ」という概念が成立するためには、周囲と「日本」とを政治的・社会的・文化的に区別する境界線が必要です。そしてその境界線は、時代によっても、地域によっても、場合によってはそれを引く主体ごとに、大きく変動するもの…

この時期のエリート層は、唐で使用する言語を理解できたのでしょうか。

国家の正式な文書はすべて漢文であり、詩文なども漢文で作成しますので、これを読んだり書いたりするのは必須の教養です。なかには漢籍に明るい人物もいて、春秋戦国から魏晋南北朝に至る優れた詩賦を集めた『文選』30巻を、暗誦できた者もいました。しかし…

授業の最後に出てきた藤原広嗣の乱の起こった要因として、藤原氏のなかでの派閥争いまたは当時の政治体制に不満、もしくは一部の人に有利に展開されていたのか? 九州で起きたとすると、対外的な要因があったのか?

藤原広嗣については、まず、奈良時代の正史『続日本紀』の天平12年8月癸未条に、「大宰少弐従五位下藤原朝臣広嗣上表し、時政の得失を指し、天地の災異を陳べ、因りて僧正玄昉法師、右衛士督従五位上下道朝臣真備を除くを以て言と為す」と出てきます。すな…